蝉の声

夏が終わりにさしかかるにつれ、そろそろ心が9月24日の秋のお彼岸法要に向かいます。この季節はお寺の雰囲気をより味わうことができ、小林一茶(いっさ)(1763~1827)のこの俳句がこころに響いてきます。

小坊主や袂の中の蝉の声
こぼうずや たもとのなかの せみのこえ

昔から日本ではお寺が子供の教育の重要な役割を果たしてきました。現在にいたっても多くのお寺が近所の子供たちが通う保育園や幼稚園を経営しています。一茶の当時、子供の保護が出来ない家族は子供を小僧としてお寺に預かることも珍しくありませんでした。一茶自身が信仰していた浄土真宗のお寺は家族で営むことが多く、子供は幼い時から仏教のお勤めと教えを学んでいました。

蝉の鳴き声といえば日本の夏を思い出します。昔から、蝉という大きくて、立派な泣き声をする昆虫は子供に興味深く、多くの子供たちが蝉を捕まえ虫籠に入れて遊んできました。上記の俳句を読むと一茶の周りの小坊主たちが在家の子供たちと同様に遊んでいたことが分かります。その当時、あるお寺は修行の道場でありながらも、一方で子供の楽しい遊び場としても存在していました。小坊主たちはお勤めを学び、教典を勉強しつつ、夏には蝉を捕まえ、それを衣の袂に入れて遊んでいたのです。

出家してお寺に入った小坊主たち以外に、在家の子供たちも寺院の中の寺子屋で読み書きや算盤を習いにお寺に通ってきていました。サンマテオ仏教会で行われている「サマー寺子屋」というサマーキャンプは日本の寺子屋の古い仏教教育の伝統を受けながら運営されています。

サマー寺子屋に参加している子供たちは交代交代でお勤めの調声をし、毎朝大乗仏教の根本実践法である六波羅蜜(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)を学びました。サマー寺子屋が行われていた一週間の間、お寺は小学一年生から高校一年生までの子供たちが仏教の伝統と教えを学ぶ道場であると同時に、面白いひょっとこの面を作ったり、友達と歌を歌ったり、駐車場でバドミントンをしたりして、子供たちが楽しく遊ぶ場でもありました。

一茶は念仏に生かされていた人でした。念仏に生かされるということは親鸞聖人の言葉に次のように表されています。

男女貴賤ことごとく 弥陀の名号称するに
行住座臥もえらばれず 時処諸縁もさはりなし
(『浄土真宗聖典 註釈版』 594頁)

念仏に生かされるということは日常生活から離れることなく、毎日の仕事と遊びの中で仏様の智慧の光に照らされていることに気づくことを意味します。9月17日のお参りでは、サマー寺子屋の子供たちがお勤めを担当し、寺子屋の思い出を発表してもらう予定ですので、是非ご一緒にお参りください。

南無阿弥陀仏


智慧の光明はかりなし

お盆に、私たちは先に往生の素懐を遂げられた身内の方々を偲びます。今年は月日の盆踊りと月日の初盆法要を迎えるにあたり、私は今年月日に往生した私の祖母の兄、アール・ケニオンに感謝しています。

この世で最後にアールおじさんに会ったのは私の実家で行われた長男の誕生のお祝いパーティーでした。その時、アールおじさんはモーターホームをカンザスシティからミネソタにある私の実家まで運転して、ドライブウェイに停め、家の中に入った瞬間、私をハグして、「ヘンリー君、久しぶりだね。僕も仏教徒になったよ。あなたが京都で仏教を勉強した時の経験や仏様の教えを話すことを楽しみにしていた。」と言ったのでした。確かに仏様の教えは隔てなく全ての人生の拠り所であるけれども、中西部の真ん中にあるカンザスシティに暮らしている歳のアールおじさんが母側の親戚の中で私の次に二人目の仏教徒となるとは正直想像がつきませんでした。

アールおじさんとの会話の中で、年間連れ合った奥さんがアルツハイマー病で往生したあとの寂しさと向き合うために、カンザスシティの仏教グループに入って瞑想をしたり、仏様の教えを聞いたおかげで徐々に心が落ち着いていったという話を聞かせてくれました。仏様の教えに導かれ、悲しみの中にご縁の有り難さが見えてきたといいました。

私が子供のとき、アールおじさんはテキサス州のサンアントニオ市に住んでおり、私は両親と共におじさんのうちを訪れました。ちょうどその時、私の従兄弟アールおじさんの孫も遊びに来ていたので、とても楽しく一緒に遊んでいました。走り回りながら、家を出たり入ったりしていると、アールおじさんが「靴を履く前に、サソリが靴の中に隠れていないか確認してね。」と親切に注意してくれました。その旅行の間に従兄弟ととても仲良く楽しく遊べたのはアールおじさんの優しさが満ち溢れた家で過ごせたおかげだと思います。

智慧と慈悲はアールおじさんの人生のよりどころでした。仏様の教えにであったら、仏法に帰依することは自然なことだと思います。浄土和讃に親鸞聖人は次のように述べておられます。

智慧の光明はかりなし 有量の諸相ことごとく
光暁かふらむものはなし 真実明に帰命せよ

『浄土真宗聖典 註釈版』557頁

アールおじさんの人生に仏様の智慧の光が朝日のごとく照らしたように、この世の全てを照らし、暗闇をも明るくしてくださることを深く味合わさせていただきました。

 

南無阿弥陀仏


正信念仏偈

サンマテオ仏教会は浄土真宗のお寺で、親鸞聖人(1173−1262)が宗祖ですが、親鸞聖人はもともと自分自身で新しい宗派を始める意志はなく、いつも師匠の法然聖人(1133−1212)に対しての尊敬を表されていました。『歎異抄』に親鸞聖人の次のお言葉があります。

この親鸞においては、「ただ念仏して、阿弥陀仏に救われ往生させていただくのである」という法然聖人のお言葉をいただき、それを信じているだけで、他に何かがあるわけではありません。

念仏は本当に浄土に生まれる因なのか、逆に地獄に落ちる行いなのか、まったくわたしの知るところではありません。たとえ法然上人にだまされて、念仏したために地獄へ落ちたとしても、決して後悔はいたしません。

なぜなら、他の行に励むことで仏になれたはずのわたしが、それをしないで念仏したために地獄へ落ちたというのなら、だまされたという後悔もあるでしょうが、どのような行も満足に修めることのできないわたしには、どうしても地獄以外に住み家はないからです。

(『浄土真宗聖典 歎異抄 現代語訳 6〜7頁』)

 

では、法然聖人が進めた念仏とは何なのでしょうか?念仏とは「仏様を念じる」ということですが、その中でも、法然聖人と親鸞聖人の教えは称名念仏といい、南無阿弥陀仏の名号を称えることを意味します。 「南無阿弥陀仏」というのは古代インドのサンスクリット語の言葉を漢字で音写されたもので、「阿弥陀仏に帰依します」という意味です。「阿弥陀」は無量という意味で、仏様の光明と寿命は計り知れないということを表しています。そして、光明は仏様の智慧で、寿命は仏様の慈悲を表しています。

親鸞聖人の教えには、「南無阿弥陀仏」は如来からの勅命であり、仏様の「私に帰依しなさい」という呼び声を味わうことが出来ます。疑う心なく仏様の呼び声の念仏を聞けば、喜びと感謝の念仏は常に自然と私たちの口から出てきます。このように如来の智慧と慈悲が、南無阿弥陀仏の六文字となって、私の心まで響いてくるのです。

この念仏は、阿弥陀如来の働きによって私たちの心に伝わってくるので、これを他力念仏と言います。ただ、法然聖人が述べた「ただ念仏して、阿弥陀仏に救われ往生させていただくのである」という教えはとても分かりやすいのですが、他力の念仏についての誤解と混乱がありました。その混乱の中、法然聖人の教えを正しく伝えようと努めていた一人が親鸞聖人でした。

親鸞聖人は数多くの著書を残されました。その中の「正信念仏偈」(正信偈)はたった60行120句ですが、その中には他力念仏の重要な意味が徹底的に述べられています。私が日本で出会った先生の一人に「朝に正信偈を勤める。夜に正信偈を勤める。これは浄土真宗の文化です。」とおっしゃった方がおられました。正信偈は南無阿弥陀仏のこころで始まります。

帰命無量寿如来 南無不可思議光

限りない命の如来に帰依し、思いはかることのできない光の如来に帰依したてまつる。

(『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類 現代語訳 143頁』)

 

親鸞聖人の正信偈と和讃が私たちの日常勤行として定められたのは、本願寺八代目の御門主蓮如上人でした。蓮如上人が御門主であった当時、多くの念仏のグループは教えに対する理解もお勤めの仕方もバラバラだったため、長続きしそうにありませんでした。そのため、他力念仏の教えが正しく伝わるようにと、蓮如上人は文明5年(1473年)3月、親鸞聖人の『正信念仏偈』と『三帖和讃』を出版されました。それによって、多くの方が親鸞聖人の教えに出会うことにより、感謝と喜びの念仏が布教していったのです。

 

南無阿弥陀仏


浄土でお待ちになっている

この間、大学のときの法友に十年ぶりに会いました。久しぶりに会ったのにその友達との親しみは少しも変わっていませんでした。大学時代の思い出話を笑いながら、ずっと会っていないという感じがしませんでした。そして、お互いの最近の事情の話になると自然にそれぞれの子供のおどけたエピソードやベビーカーは軽くて畳やすいタイプか頑丈で押しやすいタイプのどっちがいいかという育児の話題になってしました。

会っていない間にそれぞれの経験と成長をしてきた訳ですが、久しぶりの会話の中にまた新に気が会うことに気づきました。大学時代以来、因縁によってそれぞれの違う道を歩んできましたが、お互いに同じ智慧と慈悲の道理が人生のよりどころとしているので、同じ方向に向かって歩んできました。向かっている方向が一緒だから、きっと最終的に同じところにつくでしょう。

浄土真宗の教えを仰ぐ私たちにとっては、『仏説阿弥陀経』に釈尊が説かれた次の言葉は意味深いです。

舎利弗よ、このようなありさまを聞いたなら、ぜひともその国に生まれたいと願うがよい。そのわけは、これらのすぐれた聖者たちと、ともに同じところに集うことができるからである。

(浄土真宗聖典 浄土三部経 現代語訳 223頁)

このお言葉に倶会一処(くえいっしょ)の教説といい、阿弥陀如来の本願を信じ喜んで、念仏を申す人々はこの世の命が終わったら、皆必ず阿弥陀如来のお浄土に往生して、そこで先立った同朋と集うことができるということです。お別れの悲しいときに、先に極楽往生の素懐を遂げられた方々がお浄土でお待ちになっていることに安心をいただきます。

このように親鸞聖人の御消息に次の言葉があります。

閏十月一日付のお手紙、確かに読みました。覚念房のことは、あれこれと思われて言葉もありません。きっと親鸞が先立つであろうと、その時を待っておりましたのに、覚念房も先年なくなりましたが、きっと間違いなく先に浄土でお待ちになっていることでしょう。みな必ず浄土に往生させていただくのですから、何も申しあげることはありません。覚念房が仰せになっていたことは、この親鸞の思いと少しも異なるものではありませんから、必ず同じ浄土に往生することができるのです。来年の十月頃まで生きておりましたら、きっとこの世でお会いすることもあるでしょう。あなたのお心もわたしと少しも異なるものではありませんから、先立って往生してもあなたを浄土でお待ちしております。

(浄土真宗聖典 親鸞聖人御消息 恵信尼消息 現代語訳 59頁)

親鸞聖人が同朋と同じ信心をいただいていることをここで明らかにしています。その信心は阿弥陀如来の本願によっていただく信心ですので、この世の命が終わったらその信心をいただいている人は必ず皆同じお浄土に往生することを明らかにしているのです。

お念仏に生かされる人は必ず阿弥陀如来のお浄土で再会する教えはお別れの悲しいときに安心を与えますし、同じ信心をいただく人はともに安楽の世界に向かって歩んでいるありがたい仲間であることを明らかにしています。人生の向かっている方向が決まることによって、どんなに大変なことがあっても、力強く向き合うことができ、如来の光が照らす道を歩み続けられるのです。

 

南無阿弥陀仏


国宝

5月21日(日曜日)9時半に親鸞聖人のご誕生を祝う降誕会(ごたんえ)を行います。降誕会とは、1173年5月21日にお生まれになられた親鸞聖人とその生涯をしのぶため、毎年5月に行われる法要です。親鸞聖人は9歳の時に慈円和尚のもとで得度(出家)をなされ、それから20年間、天台宗の僧侶として比叡山にて勉学と修行に励まれました。29歳の時に比叡山を降りましたが、後の著書に比叡山で行われた勉学の影響がうかがえます。

日本の天台宗は伝教大師最澄(767~822)によって開かれました。最澄は804年に唐に派遣された団体に加わっており、そこで中国の天台宗を学びました。日本へ帰ると京都の東北にある比叡山にて大乗仏教の僧を育てるために、比叡山寺(後に延暦寺と呼ばれる)を開かれました。

大乗の菩薩僧を育てる寺院の方針として、最澄は「山家学生式」を著して次のように仏道を歩む人は国の真の宝であると述べています。

国宝とは何でありましょうか。宝とは道心であります。道心ある人をこそ、国宝というのであります。故に(支那の)古人は言ったものです、「(戦車の前後を明らかに照らしだす)径寸〈直径3cmの大きな宝玉〉十個があったとしても、それは国宝ではない。千里を照らす一隅を守る者、これがすなわち国宝なのである」と。また、古の哲人は古のようにも言っています、「よく語ることが出来ても、よく行うことが出来ない者は、国師である。よく行うことが出来ても、語ることが出来ない者は、国用である。よく行ってよく語り得る者は国宝である。これら三種三様の人があるが、しかし、ただ語ることも行うことも出来ないような者は、国賊である」と。

すなわち、道心ある仏教者をして、西(の印度)では菩薩と称し、東(の支那)では君子と号すのです。悪しき事柄は自らに向かわし、好ましき事柄を他者にあたえ、己を忘れて他を利することは、慈悲の極みというものです。

(http://www.horakuji.hello-net.info/lecture/nippon/sankegakushoushiki/version.htm)

親鸞聖人は比叡山での修行の間、最澄が述べられた上記の理想な僧侶を目指していたことでしょう。聖人が比叡山を降りた理由については当時の書物などに明らかにされていませんが、親鸞聖人がおられた平安時代末期頃は比叡山に貴族の僧侶が多く、世俗的なことや政治に巻き込まれることが多かったようです。その当時は、比叡山の「僧兵」の武力も強く、都にも多くの影響を与えました。

そういった時代背景により、最澄によって定められた僧侶の心得が重んじられなくなっていったことに気を落とした親鸞聖人は、比叡山を降り、法然上人の門下に入ることを選んだのかもしれません。親鸞聖人の『正像末和讃』に次のように述べてあります「今の世で本寺・本山におられる高位の僧といっても、法師といっても、嘆かわしいばかりである。」(『浄土真宗聖典 三帖和讃 現代語訳 190頁』そして、法然聖人(源空)の出会いについて次のような喜びの言葉が『高僧和讃』にあります。

善導・源信すすむとも 本師源空ひろめずは

片州濁世のともがらは いかでか真宗とさとらまし

 

善導大師や源信和尚が勧められても、源空聖人が説き広めてくださらなかったなら、インドから遠く離れた日本で、さまざまな濁りに満ちた世に生きるものたちは、どうして真実の教えを知ることができたであろう。

『浄土真宗聖典 三帖和讃 現代語訳 122頁』

 

南無阿弥陀仏


七歩

毎年春に世界中の仏教徒が、約2500年前インド北部に生きておられた釈迦牟尼仏陀の誕生を祝う法要を行います。日本の仏教では、4月8日が釈尊誕生の日とされ、その日に「花祭」という行事が行われ、これは釈尊誕生の際に、たくさんの花々が一斉に開花していた様子に基づいて行われています。サンマテオ仏教会では4月9日(日曜日)の9時半から「花祭」法要を行います。皆さま、是非ご一緒にお参りください。

夫人は種々の苦悩憂患なく、怒り、悲しみ、奢り、偽はりの心を生ずることなく、ひたすら、悪みと、諍いと、喧騒の巻を厭ひ空閑の林に遊ばんことを楽っていられた。(p. 18)

釈尊は生まれて直ぐに七歩歩まれ、その足跡には蓮の花が七つ咲いたと伝えられています。この七歩歩まれたというのは、生死の六道を乗り越える意志を表すと言われています。そして釈尊はそのとき、右手で天上を指し、次のように言いました。

『我れはこれ仏となるために生れたのである。この生涯は我が人間としての最後の生である。我れはもう他の存在を受くることなく、我れはすべての中に於て最も偉大なるものとなつて、、広く一世の生類を救済するであらう。』

仏所行讃 : 現代意訳, 池田卓然 訳著, p. 20

仏教の教えでは伝統的なインドの考え方を受けて、すべての生きているものは六道という六つの世界のいずれかに生まれ、そして死んではまた別の世界に生まれ変わることを繰り返すと言われています。この生死の六道を学ぶことによって、その時々で変化する私たちの日ごろの心を理解することができます。源信和尚(942~1017)は『往生要集』という論書の中で六道について次のように述べています。

地獄

衆生は次の八つの地獄に生まれることがある:1)等活地獄(何回も同じ苦しみが続く)、2)黒縄地獄、3)衆合地獄(鉄山が両方からせまって砕ける)、4)叫喚地獄、5)大叫喚地獄、6)、焦熱地獄、7)大焦熱地獄、8)無間地獄(絶え間なく苦しみを受け続ける)。仏教の地獄は神罰によって、永遠に苦しむところではなく、地獄に生まれるということは本人が恨んだり、傷つけたりする生き方に対して生じる報いのことです。他の五道と同じように、地獄に生まれてもそれは永遠に続くのではなく、いずれ死があり、次の転生があります。

餓鬼道

餓鬼は飽くことのない欲望(特に食欲と渇き)をもっていますが、食べ物や飲み物が唇に触れる瞬間に、それらが火となり口を火傷してしまうために常に飢えに苦しんでいます。餓鬼の様子は腹が丸く膨れていて、とても狭い首をしている姿で描かれていることが多く、人間と天の世界にも現れわれことがあります。餓鬼に生まれることは欲張りの報いであります。例えば、何か良いものをもらったにも関わらず、もっと良いものが欲しかったとそれに満足せず有難く思わないのは餓鬼の苦しみと言えるでしょう。

畜生道

畜生というのは動物のことを示し、畜生道に生まれたものは恥を知らず、自分の愚かな生き方を気にしません。また、常に罰を恐れながら、ご褒美ばかりを求めるのは畜生の生き方です。野生の畜生は殺し、殺される生涯で、人に飼われている畜生は一生涯きつい労働に使われます。畜生に生まれることは無明(煩悩にとらわれた迷い、愚かさと無知)に対する報いなのです。

阿修羅道

阿修羅は常に自分よりいいものをもっている相手(特に天)をうらやましがって、競争します。阿修羅の世界は勝つものと負けるものにはっきり分かれており、敵に囲まれることや戦いによる傷害が苦しみとなります。阿修羅は仏のみ教えを聞くことができるものの、相手に勝つことに一生懸命になるあまり、布施と慈悲のこころを忘れることが多いのです。

人道

源信和尚は人間の根本的な様子として次の三つを述べています:1)不浄:人間の体のすべての部分は病気に罹かったり、衰退していきます、2)苦:人生の中で皆必ず苦しみに遭遇します、3)無常:人間は皆いずれ死に逝きます。しかし、六道の中で、人間として生まれることは仏法を聞き悟りを得るための最も優れた機会なのです。礼讃文に「人身受けがたし、今すでに受く。仏法聞きがたし、今すでに聞く。この身今生にむかって度せんば、さらにいずれの生にむかってかこの身を度せん。」とあるように、人間としての生まれは貴重なものなので、他の人の命を救うように努めたり、他の人から自分の人生に必要なものをいただいたり、学び取れるように努力しなければなりません。

天道

天は力を持っており、楽しさ、欲望が満たされた生き方をします。但し、天も他の五道と同じように、いずれ死の別れの苦しみがあります。天道はあくまでも楽しむことが中心であるため、自分の死が近づくと、仲間からはずされ、楽しい宮から追い出され、孤独に死んでいきます。また、天が死ぬと、次に六道のどこに生まれるのか分からず、最も悪いところの無間地獄に生まれる可能性もあります。

人間としての生まれることは無常であり、いつ終わる のかは知ることができません。この人間としての生まれが終われば、他の五道に転生することが可能です。実際のところ、私たちは今までに数え切れないほど生まれ変わり、死に変わりを繰り返し、幾度となくすべての 六道を通ってきているのです。仏教における目標は常に人道にいるのではなく、すべての衆生(生きとし生けるもの)と共に生死から開放されること意味します。仏になることは生死から解放される道を悟り、すべての迷えるものを悟りに導くということなのです。『歎異抄』第五章にて親鸞聖人は六道のすべての衆生の救いについて次のように述べています:「命のあるものはすべてみな、これまで何度となく生まれ変わり死に変わりしてきた中で、父母であり兄弟・姉妹であったのです。この世の命を終え、浄土に往生してただ ちに仏となり、どの人をもみな救わなければならないのです。」(『浄土真宗聖典 歎異抄 現代語訳』

南無阿弥陀仏


1942年の春季彼岸会

先月、米国大統領令9066号の75周年記念を迎えました。真珠湾攻撃の後にフランクリン・デラーノ・ルーズベルト大統領が大統領令9066号にサインしたことによって、西海岸各地に住んでいた日系人全員は強制的に収容所に移動させられました。その歴史は北米でお念仏の伝道に大きい影響を与えましたが、当時カリフォルニアの中央海岸のランポークで活躍されていた開教使田名大正師が書かれた『サンタフェー・ローズバーグ戦時敵国人抑留所日記』はその時の経験についての貴重な資料となっています。戦後、田名先生は1952年から1955年まで私たちのサンマテオ仏教会に赴任されていました。

1942年2月24日午後3時、連邦捜査局(FBI)の捜査官と市警官3名が田名先生の見許調査と家宅捜査を行いました。田名先生が「収容するのか。」とすぐさま問うと、「然り。」と返答されたそうです。「地下室から天井裏から仏間の奥まで探した。鉄砲はないか、ラジオはないかと、敵国人所持禁制品を極力探し求めていたが何もないので午後5時引上げて行った。」田名先生は3月13日に収容され、3月14日にキリスト教の牧師、他の開教使を含めて12人と一緒にトラックに乗せられ、ロサンゼルスの方へ向かって出発しました。

最初はロサンゼルスの西側にあるサンタモニカ山脈の中のタハンガ(Tuna Canyon)という市民保全部隊(Civilian Conservation Corps)のキャンプに収容されました。田名先生のその頃の日記を読むと、いつ、どこに移動させられるか分からない将来についての不安な気持ちがよく伝わってきます。その迷いの中でも、田名先生にとって仏法が安心のよりどころであったことを述べられています。

サンマテオ仏教会では2017年3月12日午前9時半から春季彼岸会が行われますが、1942年3月タハンガのキャンプでは下記のように春季彼岸会が営まれました。

収容所の彼岸法要 一九四二 三 二二

今日は日曜日である。午前九時から、基督教の野外礼拝が行われた。何処に居ようと、必ず日曜礼拝を欠かさないのには感心する。

多人数の中では、殊更に売らんかなの催しを好まないが、今日は彼岸だから、夜、彼岸会法要を各宗合同で営む事にした。

Cブロックに阿彌陀仏の御絵像を安置して、一同が十二礼を読誦したのであるが、満堂の仏教徒は、思わざるところで今年の彼岸を迎えた感激に満ちていた。

思わざるところでの彼岸会に法話を言いつけられた私は、「我らの彼岸」と題して、囚れの身に期待し得る理想に就いて所感を語った。話の最中に拍手のあるのに、仏前礼拝にそぐわない気持を起こしながら、三十分程の法話をしたが、話が終わっても拍手があったので、単なるひやかしではなく、同じような心境ある人々の共鳴であったのかも知れない。

サンタバーバラの泉牧師が、よいお話であったと言って下さったので安心した。中根牧師も、声がよく徹って、気持よくきかされたと喜んで下さった。自分と異なった主義者の話に対し、思い通りに感じを言って挨拶するのはよい事だ。

(『サンタフェー・ローズバーグ戦時敵国人抑留所日記』117~118)

タハンガのキャンプで営まれた春季彼岸会では十二礼をお勤めされましたが、今のサンマテオ仏教会でも十二礼をよくお勤めします。田名先生が仏様の智慧と慈悲にいただかれた力は、十二礼にある次の言葉がよく表しています。

所有無常無我等  亦如水月電影露
為衆説法無名字  故我頂礼弥陀尊

諸有は無常・無我等なり。 また水月・電の影・露のごとし。
衆のために法を説くに名字なし。 ゆゑにわれ、 弥陀尊を頂礼したてまつる。

(http://www.yamadera.info/seiten/d/junirai.htm)

安定していた生活が急に変更するのは無常ということです。自分が頼っていたものごとは永遠に変わらないという実体がないことに気づいたとき「無我」の道理に出会います。そういう現実が不安な思いを与えるときにこそ、仏様の光が私たちの人生を照らし、言葉を乗り越える真理によって心が安穏になります。田名先生が思わぬ現実の中でもお念仏に生かされている姿は、阿弥陀如来に帰依する人生の力を私たちに示してくださっているのです。

南無阿弥陀仏


釈迦さまのお別れの言葉

2月に釈迦牟尼仏が2,500年前、北インドのクシナガラに入滅したことを記念する「涅槃会」をお勤めします。釈迦さまは35歳の時に、菩提樹の下で禅定に入られ、悟りを開かれました。その時、全ての煩悩が滅した「涅槃」を得られました。しかし、それから45年間、人間としての生涯が続いたので、時々病気になったり、身体が痛くなったりすることがありました。生まれるものは必ず死に至るということは真実ですから、釈迦さまの人間としての身体もそうでした。釈迦さまがこの世の中の命を終えられた時、「般涅槃(はつねはん)」という寂滅に入られました。サンマテオ仏教会では、今年は2017年2月12日の午前9時半から釈迦さまを偲ぶための「涅槃会」法要が行われます。

釈迦さまは入滅される前、後に仏道を歩む人々のためにお別れの言葉を残していかれました。釈迦さまの教えが世界中に広まるにつれ、その言葉は尊い灯火となっています。13世紀の日本に、親鸞聖人は私たちに次のように釈迦さまの別れの言葉を伝えてくださっています。

釈尊がまさにこの世から去ろうとなさるとき、比丘たちに仰せになった。「今日からは、教えを依りどころにし、説く人に依ってはならない。教えの内容を依りどころとし、言葉に依ってはならない。真実の智慧を依りどころとし、人間の分別に依ってはならない。仏のおこころが完全に説き示された経典を依りどころとし、仏のおこころが十分に説き示されていない経典に依ってはならない。」

(浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類 現代語訳 530〜531頁)

この四つの依りどころは人生を正しい道へと照らしてくれます。

教えを依りどころにし、説く人に依ってはならない。 釈迦さまの教えは菩提樹の下に座りながら開いた悟りの内容です。私たちは先生、父母、友達、親戚など様々な人間関係でその教えに出会いますが、自分自身がその教えを聞いて、信じないと利益を得ることはありません。

教えの内容を依りどころとし、言葉に依ってはならない。釈迦さまは次のようにこれを詳しく説明されています。「言葉は教えの内容を表しているものであって、教えの内容が言葉そのものなのではない。言葉に依って教えの内容に依らないのは、人が月を指して教えようとするときに、指ばかりを見て月を見ないようなものである。その人は、〈わたしは月を指さして、あなたに月を知ってもらおうとしたのに、あなたはどうして指を見て月を見ないのか〉というだろう。これと同じである。言葉は教えの内容であるわけではない。このようなわけで、言葉に依ってはならないのである。」経典に現れる釈迦さまの言葉は、仏道を歩むための導きであるので大切に頂戴するべきですが、真実そのものは不可思議・不可説と言われるように言葉を超えるものです。ですから、教えの内容をよく聞いて、信じることが大切です。

真実の智慧を依りどころとし、人間の分別に依ってはならない。人間の分別するこころは常にものを善し悪しとして判断し、自分の都合のいい物事ばかりを求めます。しかし、自分の都合のいい物事を優先することによって、周りに迷惑をかけたり、自分の苦しみを招いたりします。智慧の光が照らす真実は、自分に邪念があるときにこそ、一所懸命働きかけてくれます。仏道を歩む人生は、常に我が身をかえりみて、仏様の智慧の光をあおぐことなのです。

仏のおこころが完全に説き示された経典を依りどころとし、仏のおこころが十分に説き示されていない経典にってはならない。 経典というのは釈迦さまの説法の記録です。釈迦さまの説法の中で八万四千の法門という数多くの教えが説かれています。その全部の経典を読んで、その中に説かれている教えを完全に理解することはとても難しいことですので、仏道を歩む私たちにとって、それぞれ必要とする救いが説かれている経典に出会い、その教えを信じることが大切です。サンマテオ仏教会では、阿弥陀如来とお念仏が説かれている浄土三部経を、私たちが極楽で涅槃を得るための依りどころとしています。

 

南無阿弥陀仏


おじいちゃんの智慧

12月13日にサンマテオ仏教会のご門徒さん数人と一緒に俳優のジョージ・タケイ氏が公演したミュージカル『忠誠/ALLEGIANCE』の特別上映を見に行きました。サンフランシスコ国際空港の近くにあるタンフォランショッピングセンターにある映画館で見ましたが、その映画が建てられている土地は以前にタンフォラン競馬場であって、真珠湾攻撃の後にサンマテオを含めてサンフランシスコ周辺に住んでいた日系人はその競馬場に集合するように命令され、そこから東に何百マイルも離れている強制収容所の準備が完了するまではしばらくそこの馬屋にて生活させられていました。フランクリン・デラーノ・ルーズベルト大統領が大統領令9066号をサインしたことによって、その時、西海岸各地在住の日系人120、000人が、住んでいた家やコミュニティーを離れて強制的に収容所に移動させられました。

『忠誠/ALLEGIANCE』はジョージ・タケイ氏が子供の時にロスアンゼルスの近くにあるサンタアニタ競馬場にあった集合センターから、アルカンソー州にあったローワー移住センターに収容された経験に基づいた映画で、主人公はサリナスで農業をしていたキムラという家族です。ワイオミング州のハードマウンテンにあった収容所に移動する前、キムラ家は殆どの財産を処分しないといけなかったので、農場を本当の価値の一部で売るしかなかったです。アメリカで生まれた二世のケイコとその弟のサム、そして日本生まれの一世のお父さんタツオの家族関係がその物語の中心となっています。キムラ家の中で、異なる世代間の価値観の違いも同世代間の人の考え方の違いも見られます。対立の主な原因は収容所にて行われた忠誠心調査で、質問27:「貴方は命令を受けたら、如何なる地域であれ合衆国軍隊の戦闘任務に服しますか?」と「質問28:貴方は合衆国に忠誠を誓い、国内外における如何なる攻撃に対しても合衆国を忠実に守り、且つ日本国天皇、外国政府・団体への忠節・従順を誓って否定しますか?」が一番争いを招くもとになりました。

物語が始まる前に上映されたメッセージに、ジョージ・タケイ氏が日系人強制収容を取り巻いていた人種差別や偏見が現在のアメリカ社会によく現れています。タケイ氏がその当時の日系人強制収容の暗い歴史を明らかにすることによって、同じことが再び行われない念願を示しました。最近ベイエリアで起こった憎悪犯罪、提案されているイスラム教徒の全国登録制度や家族を離散しうる移民政策を心配するご門徒さんの何人かは私を訪ねてきて、「この状態を改善するために私が仏教徒としてできることは何でしょうか?」と聞かれました。

アメリカ社会の現状は私も心配しており、『忠誠/ALLEGIANCE』を見ながら、私がその歴史を経験なさっている方々との出会いを考えさせられました。ジョージ・タケイ氏が役したケイコとサムのおじいちゃんは収容場の厳しい生活や忠誠心調査が招いた対立の中でも冷静とユーモアを保ち、智慧の言葉を説かれます。そのおじいちゃんの人柄やあり方こそ、タケイ氏が一世の方々への尊敬と感謝を込めている部分であると私には強く感じられました。おじいちゃんは怒りや恨みを表に表しませんが、行動力がありました。ケイコもサムもおじいちゃんに相談することによって、自分の不正に立ち向かう道を明らかにすることができました。

『忠誠/ALLEGIANCE』に描かれている時代を生き抜かれた方々との出会いは、私のお念仏の生活の大きな導きとなっています。サンマテオ仏教会で過ごす日々の中で、その方々が生きた仏様の智慧の光で輝く人生を学ぶことができ、感謝の気持ちがわいてきます。サンマテオ仏教会の長老の方々は私の尊敬する善知識です。その方々の人生を尋ねますと、どんな大変な時でも阿弥陀如来の信心があれば、日頃の何気ない会話や庭仕事のような単純なことによって、ある人の人生の決断やその先の世界を大きく変えることもありうるのです。戦時の暗い時代に、仏様の光が輝く人生を送られていた方々に感謝の合掌をします。その方々のお陰でお念仏がいまもサンマテオに響いています。『仏説無量寿経』に説かれているように

たとえ世界中が火の海になったとしても、ひるまずすすみ、教えを聞くがよい。

そうすれば必ず仏のさとりを完成して、ひろく迷いの人々を救うであろう。

(浄土三部経 現代語訳 83頁)

 

南無阿弥陀仏


菩提樹の光明

ここ北半球では12月になると日の差す時間が徐々に短くなり、夜の暗みで暮らす時間が長くなります。冬の暗みの間、世界のさまざまな宗教には智慧の光を喜び祝う行事や祭日があります。ユダヤ教のハナカーは九本の蝋燭を家に飾り、ヒンドゥー教のディーワーリーは花火をつけ、そして年末のクリスマスのライトアップは私達が暮らす多文化・多宗教で豊かな社会の、この季節の楽しみと言えるでしょう。日本の仏教徒は12月8日に釈迦様が2,500年ほど昔に菩提樹の下で悟りを開かれた日を祝う成道会を行います。

現在アメリカの多文化的・多宗教的な社会では12月に布施、友好、助け合いの共通の価値観を強調するホリデースピリットがあります。今まで私が北米開教区の開教使をしてきた中で、何度かご門徒さんとの会話の中でちょっと恥ずかしそうにその方のご家族が12月に、色とりどりなライトが付いているもみの樹を家に飾り、その樹の下に家族や友人に渡すプレゼントを置いているという話しが出たことがあります。そしてたまにご門徒の皆さんから仏教の開教使である私に、門徒がこういう風に家に樹クリスマスツリーを飾ることに対して違和感がありますかと聞かれることがあります。

しかし、年末年始に常緑樹を飾ることは多くの国の文化にありますので、決してこれはひとつだけの宗教の伝統であるとはいえないでしょう。たとえば日本ではお正月に一年中緑を保つ松の枝を飾って、「松竹梅」で新年を迎える習慣があります。

シダッタは樹の下に座り悟りを開きました。その樹は菩提樹といい、仏教の大切なシンボルとなっています。「菩提」はインド古代の言語であるサンスクリット語で「目覚め」を意味します。シダッタは菩提樹の下に座る前の六年間、苦行に励み、食べるものを減らしたり、激しい雨や強い日差しの下でもずっと外で暮らしていました。それら苦行を続けた後、ある日シダッタの身体に限界がきてついに倒れてしまいました。ちょうどそのとき、スジャータという少女が通りかかり、倒れていたシダッタを見つけました。スジャータは可哀想に思い、乳がゆを差し出しました。その乳がゆを食べたシダッタは修行をするための体力を取り戻し、苦と楽の二つの極端な生き方を求めるのではなく、悟りへの道は中道にあるということに気づきました。

体力を取り戻したシダッタは、雨や日差しから身体をかくまってくれる菩提樹の下で柔らかい草の座布団の上に座り、すべての迷いを乗り越え、悟りを開くまでその場所を離れないと決心しました。そして一晩中座禅を続け、夜明けの明星を見たとき、シダッタはついに悟りを開くこと(成仏すること)が出来ました。この菩提樹が雨や日差しから守ってくれたことは、苦行の道から中道を歩む道を選んだシダッタ(釈迦様)の決心をあらわしているのです。

釈迦様の成道を祝う十二月に、近所の家々や街の中できらきら光っている樹々を見るのは楽しいものです。その樹々を見ていると、釈迦様が苦と楽の二つの両極端な道を歩むのではなく、目覚めへの中道を歩むように教えて下さっていることを思い出します。暗みに光が照らすこの季節、仏様の光明が菩提樹から2,500年の長い月日とアメリカとインドの遠い空間を越えて、私が今、ここで歩んでいる道を照らしてくれているような気がします。親鸞聖人は「正信念仏偈」に次のように仏様の智慧の光を讃嘆されています。

 

本願を成就された仏は、無量光・無碍光・無対光・炎王光・

清浄光・歓喜光・智慧光・不断光・難思光・無称光・

超日月光とたたえられる光明を放って、広くすべての国々を照らし、すべての衆生はその光明に照らされる。

(『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証門類 現代語版』143~144頁)

 

南無阿弥陀仏