今年も七月の第一日曜日(七月七日)九時半からのお参りにて北米開教区の歴代開教総長追悼を行います。北米開教区の歴代開教総長たちはそれぞれの時代の事情と課題に応じて勇気を持って教団を指導され、北米にお念仏を広めるため各仏教会に配属された開教使らとその御門徒に多くの力を与えて下さいました。 北米の浄土真宗教団の歴史の中でも第二次世界大戦中の日系人収容は大変苦難なものでした。大日本帝国海軍が1941年12月7日にハワイの真珠湾を攻撃した後、日本との関係が親しくリーダーが主に一世の日本人移民であった当時の北米開教区はアメリカ社会に疑われたり、敵対されたりしました。
西海岸に住んでいた大勢の日系人たちが強制移動を命じられ、内陸のわびしい土地に慌てて作られたキャンプに収容された後、ユタ州のソールトレークシティーにて緊急北米開教区会議が開かれました。そこで、カリフォルニア州にBuddhist Churches of America (BCA)という新たな宗教法人を登録する事によって、それまでのBuddhist Mission of North Americaと識別する方針が決められました。BCAの理事会はアメリカ生まれの二世によって構成され、教団の公式言語は英語に定められました。 そして、二世開教使の久間田顕了先生が松蔭了諦開教総長の支持を得て、理事会長に任命されました。
久間田先生は松蔭総長のもと、主に英語を話す若い二世のための開教活動を担当されました。そして、特に戦争が始まったばかりの危うい状況の時に、教区の英語の代表者として積極的に務められました。その頃、久間田先生が書かれた便りと法話は各収容所によく普及され、厳しい現実に向き合わされていた日系の念仏者に多くの安心と導きを与えました。
私は最近、アーカンソー州にあったジェローム戦争移住センターの1943年10月3日号会報Denson YBA Bulletinにあった久間田先生が書かれた次の法話を読みました。
隠れた徳性
天ぷらが美味しいと思う人は多いでしょう。天ぷらを食べているとき、たまに衣の中は何の食べ物が入っているのかと予想して、それが当たるかどうか確認しながら食べるのはとても楽しいことです。しかし、衣だけが天ぷらの全てではありません。天ぷらの大切なところはその衣の中にあります。同じように、宝飾の表面がいくら輝いていても、中身が同じように輝く本質がないと本物の宝石とは言えません。表面的な教育や高い知度を周りに見せれば、たまに「本物」で通用出来るかもしれませんが、それは仏様の信心にいただく本物の智慧と謙虚さとは比較になりません。
(http://digitalassets.lib.berkeley.edu/jarda/ucb/text/cubanc_35_1_00261330ta.txt)
75年が経った今でも、当時久間田先生が短く分かりやすく書かれたこの深く心に響くご法話に感心させられます。その当時の収容所では紙と印刷の材料は非常に貴重なものでしたので、各収容所に配布する法話を書く際は、無駄がないように一つ一つの言葉が丁寧に選ばなくてはなりませんでした。収容所で殆どの食事をカフェテリア式で食べていた日系の方々はこの法話を読んで、美味しい食べ物や楽しい家族との集まりを頭に思い浮かべたことでしょう。そして、法話の最後で親鸞聖人の教えの根本となる信心に触れることによってお念仏のありがたさが伝わったことでしょう。
私が今アメリカでお念仏を聞くことができるのも、松蔭総長と久間田先生の苦労と多大な努力のお陰と言えるでしょう。この二人の先生のご指導のお陰でBCAの教団は今も活発で、サンマテオ仏教会では毎週お念仏を喜ぶ仲間が集まり、共に仏様の大慈悲の心を仰ぐ事が出来ているのです。松蔭先生と久田間先生のご苦労を考えますと、手を合わせて、頭を下げて、「南無阿弥陀仏」を申すしかありません。
南無阿弥陀仏