歓喜会

8月に行う盂蘭盆会(お盆)はお釈迦様が目連尊者という仏弟子に説かれた布施(ほどこし)についての教えに基づく法要です。目連尊者は自分の母親が亡くなった後、餓鬼道という欲が多く、満足する事のない苦しい世界に落ちていることを見てすぐにお釈迦様のところへ行き、どうすれば母親を救うことが出来るか尋ねました。お釈迦様は目連尊者に僧侶の仲間に食べ物や衣等のお布施をするよう説かれました。そして、お布施をした後、母親が餓鬼道から開放された様子を見た目連尊者はとても喜びました。

餓鬼道に落ちるというのは欲と執着の結果です。ある説によると、目連尊者の母親は他人の子供よりも自分の子供を可愛く思う執着が強かったために餓鬼道に落ちたと言われています。自分の子供に対しての執着は欲の一つであり、その執着は苦しみの原因になる場合もあります。例えば、自分の子供だけを可愛く思う場合、他の子供に対して冷たく接してしまうかもしれません。

お釈迦様は欲と執着から解放される方法としてお布施をするよう促されています。そして、お布施をする際には、あげる人、あげるもの、もらう人の三つが大切だと言います。あげる人はお布施の前に人にそれをあげることを楽しみに思います。次に、布施をあげた時に相手が必要なものをあげることができたことに喜びを感じます。そして次に、布施をあげた後にもらった人が喜んでくれたことで心が満たされます。また、お布施をする際は相手が恥じることなく、気持ちよく受け取ってくれるようあげることが大切です。

そして、お布施としてあげるものとして、まずもらう人のためになるものを渡すのが大切で、もらう人の害になるようなものは避けるべきです。自分は美味しいものを好むにも関わらず、自分にとって美味しくないものを他の人にあげる人は、あげるものの奴隷と言います。それとは逆に、自分も美味しく感じるものを他の人にあげる人は、あげるものの友と言います。そして、自分自身はすでにあるもので満足して、一番美味しいものを他の人にあげる人をあげるものの王と言います。

また、お布施をいただく人はむさぼり、いかり、おろかさの煩悩が心に混じらないように注意することが大事です。例えば、もらうときに「えっ、それだけ?」、「もっとマシなものがよかった…」という思いが起こればそれはよく深い心(むさぼり)が混じっている証拠で、「どうして他の人が私よりいいものをもらっているか?!」という思いが起こればそれは心にいかりが混じっている証拠と言えます。また、もらった時にあげた人の気持ちに気がつかないのはおろかな心と言えます。人からいただいたものをありがたく受け取れることは心豊かな生き方と言えるでしょう。

お布施には財施(ざいせ)、法施(ほうせ)、無畏施(むいせ)の三つがあり、目連尊者が食べ物や衣の財産を施したことは財施、お釈迦様が目連尊者に教えを説いたことは法施にあたります。そして、お釈迦様の教えが、餓鬼道に落ち苦しんでいた母親を心配していた目連尊者の不安を取り除いたことを無畏施と言います。

目連尊者が自分の亡き母を思うのと同じように、私たちも毎年お盆に先亡者を偲びます。阿弥陀如来の本願は「私を信じる人々は人生が終わる時に必ずお浄土に往生する」という誓いです。この阿弥陀如来の本願を信じて亡くなられた方々はこの本願のおかげでお浄土に往生されたので、私たちはその方々が苦しんでいるかどうかを心配する必要はありません。このように本願の教えをいただく私たちは、お盆の際に先亡者と共に安心して救われていることを喜び集うことができるので、お盆法要のことを「歓喜会」と言います。今年も日頃から無畏施を与えて下さっている阿弥陀如来に感謝のお念仏でお盆を迎えましょう。

南無阿弥陀仏