甘味と苦味

先月、友達と一緒にサンマテオ・カウンティ・フェアに行って帰ってきた長男に、「何か美味しいものを食べた?」と聞くと、「うん、コットンキャンディーを食べた!」との答えでした。コットンキャンディーの味は甘さそのもので、私も子供の時は好きでしたが、私がこの間久しぶりにコットンキャンディーを食べると、あまりの甘さにびっくりしてしまいました。私が子供の時の好きだった食べ物も、とっても甘いものかとっても塩辛いものが多かった記憶がありますが、この歳になるとようやく色々な味が楽しめるようになってきたように思えます。

科学的に分析すると、人間は五つの基本の味を味わうことが出来るそうです。その五つとは甘味、塩味、酸味、苦味、そしてうま味です。中でも、うま味という味は1908年に東京帝国大学の池田菊苗教授が昆布の中に発見して、椎茸、トマト、肉などにも含まれています。このうま味によって材料の甘さや塩辛さがさらに美味しくなるとのことです。

私は子供の時、ピクルスやザウアークラウトのような酸っぱいものは食べられませんでしたが、大人になった今はそういう酸っぱいものが結構好きになってきました。他にもビールやコーヒーなどの苦味があるものも大人になってから好むようになりました。思い返せば、私が子供の時は食べ物の好き嫌いが結構あって、ピクルスとザウアークラウト以外にも、ピーナッツバター、オレンジマーマレード、レーズン、魚、そして野菜全般を食べなかったので、食事の席で楽しめる味は相当限られていました。でも今はそれらも含めて色々な物を食べられるようになったので、食事を楽しむ幅が広がりました。

子供の頃に甘い味や塩っぱい味ばかりを求める傾向にあったのと同じように、私は若い頃、楽しいことや興奮することをよく求めていました。しかし、成長しながら色々な経験をするにつれて、人生は楽しいことや興奮することだけではなく、涙が出るような酸っぱい時や苦い時もあることに気がつきました。そして、酸味がある食べ物や苦味のある飲み物の味を受け入れるのと同じように、人生は楽しいことだけではなく、寂しく思う時、がっかりする時、そして悲しむ時もあるのだということが分かってきました。そうやって人生の全てをありがたく味わえることが出来るようになれば、人間として生まれてきたことの尊さも味わうことが出来るようになるでしょう。

そして、私たちは仏法を聞くことによって阿弥陀如来の本願の味を人生に取り入れることができます。本願というのは、阿弥陀如来の救いを信じれば、この私もお浄土に生まれ悟りを得るという仏様の誓いのことです。この本願を信じることによって、人生の全てを受け入れて下さる仏様の広い御心をいただくことができると同時に、人生の味わいが深まってくることでしょう。この救いについて、親鸞聖人は「正信念仏偈」に次の言葉を述べられています。

信をおこして、 阿弥陀仏の救いを喜ぶ人は、

自ら煩悩を断ち切らないまま、浄土でさとりを得ることができる。

凡夫も聖者も、 五逆のものも謗法のものも、 みな本願海に入れば、

どの川の水も海に入ると一つの味になるように、 等しく救われる。

人生の中で私たちは、食べ物に限らず、人や場所、経験等に対しても好き嫌いをすることがあります。例えば、苦手と思う人と一緒にいたり、不快と感じる場所にいると煩悩によってどんどん苦しくなってしまいます。これは自分の人や物事を受け入れる経験の範囲が狭いためです。それとは逆に、自分の心をどんな川の水でも受け入れる海のように広くすることが出来れば、煩悩から解放されて大きな喜びをいただくことが出来るでしょう。

私には今でも食べられないものがあります。好き嫌いを全部無くすのはとても難しいことです。本願の救いというのは好き嫌いを全部なくして、全ての煩悩を断ち切らないといただけない救いなのではありません。私のようになかなか好き嫌いをなくせない人こそを救って下さる誓いです。その救いをいただくことが出来れば、甘い経験も苦い経験も一つのありがたい味として受け入れられるようになるでしょう。

南無阿弥陀仏