申年

2016年、申年を迎え、この一年私たちが進むべき人生の方向性を考えましたところ、今回は仏教のジャータカ物語りの一つを紹介したいと思います。釈迦様は大きなイチジクの木に住んでいた猿の群れについて語ったと言われています。そのイチジクの木にはとても美味しい実がたくさんなっていて、猿たちは食べることに心配することなく幸せに暮らしていました。その群れは知恵の優れた猿の王様に治められており、王様は川の上に伸びる枝の実を毎日一個も残さず全部片付けるように命じていました。

猿たちはいつもその実の片付けを頑張りましたが、ある日葉っぱが茂っていたところにあった一つの実に気がつかず、取り残してしまいました。その実は熟れて、川に落ち、近くの人間を治めていた王様のところにまで流れていってしまいました。王様はその美味しいイチジクの実を食べると、直ぐに家来を集め、その実がなっている木を探しに出かけました。ようやくイチジクの木を見つけると、王様は猿の群れが自分が欲しかった美味しいイチジクの実をパクパクと食べている姿を見てとても怒り、家来に猿の群れをやっつけるように命令しました。たくさんの矢と石が飛んできて、猿の群れは大騒ぎしました。

猿の王様は、群れを救うため、木の隣にそびえ立つ山に飛び出し、速やかに高い竹を探して、竹を足で掴み、またイチジクの木に飛び戻ろうとしました。竹の長さが少し足りなかったので、猿の王様は手でイチジクの木の枝を掴み、足で竹を掴んだまま、自分の体をイチジクの木と竹をつなぐ橋のようにして他の猿たちが逃げられる道を作りました。

群れの猿たちは急いで山に逃げ、王様の体は何匹もの猿に踏まれてしまいました。すべての猿が山に逃げると、王様は疲れと怪我のため、自分で逃げる力もなく、そのままイチジクの木と竹の間にいました。

人間の王様は猿の王様の勇気と慈悲に感動し、家来に木の下に毛布を張り、木と竹を矢で打ち折り、猿の王様を受けとめるよう命令しました。猿の王様が木から下ろされると、人間の王様がそばに来て、感心の言葉を述べ、猿の群れが猿の王様を守るべきであるのに、猿の王様が命がけで群れを救おうとした理由を尋ねました。

猿の王様は次のように答えました:「私の身体は痛んでいますが、長年お世話になっている群れたちの恐怖を和らげたので、心が幸せになりました。」そして、次のように人間の王様に幸せになれる道を教えました:「荷役用の動物、軍隊、農民、街の人、大臣、貧しい人、僧侶、神主などに対して、王様は父親のように皆を守り、幸せになれるように頑張らないといけません。このようにして自分の名利を高めることによって、この世と後世の幸せが決まるのです。」

この物語の中で、自分の身体を犠牲にして群れを守ろうとした猿の王様の勇気にもとても感心しましたが、それよりももっと私が感心しましたのは、欲のために猿の群れへの攻撃を命じ、自分にひどい怪我をさせた人間の王様への態度がとても素晴らしかったと思います。怒りや仕返しの心を表すのではなく、慈悲をもって、親切に人間の王様が幸せになれる道を説いてあげています。その道とは、王様自身の利益よりも国の人々を大事にすることが説いてあります。この猿の王様は、釈迦様が仏になる前の菩薩の生まれかわりだと言われています。

この話を自分自身の事として考えてみますと、自分が欲しいことだけを求めて、周りはどうでもよく思ってしまう点で、欲張りな人間の王様に似ているところがあると思います。猿の王様が、欲張りな人間の王様に親切に幸せになれる道を説かれたように、欲張る私のために仏様がお念仏のみ教えを説いてくださっているおかげで、また新しい一年を迎え、私の極楽への道が仏様の智慧の光に照らされていることに気づかされるのです。

 

南無阿弥陀仏