先月、サンマテオ仏教会とパシフィカイスラム文化センターが協力してサンマテオ仏教会にて多宗教交流会とイフターディナーが開かれました。イスラム教徒はラマダンという一ヶ月の祝祭期の間に夜明けから太陽が沈むまで一日中食べ物も飲み物も一切取らない断食をします。そしてその日の断食が終わって食べる夕食の事をイフターと言います。交流会が始まると、まず皆んなで本堂に集まって、私がサンマテオ仏教会の歩みと仏教と浄土真宗の紹介をし、その後、重誓偈をお勤めして、参拝者のお焼香がありました。イスラム教徒の参加者は仏教勤行の体験をありがたく思って下さったようで、その中の数人はお焼香もしてくれました。
次にソーシャルホールに移動して、私の友人であるイマム(イスラム教の聖職者)イルマズ・バサク師がラマダンとイスラム教徒の断食について紹介しました。日没の時刻に合わせてイマム・イルマズ師が祈りの呼びかけをし、私が仏教の食前の言葉を言った後、それぞれテーブルに置いてあったドライフルーツとお水をいただきながら、美味しそうな地中海料理のブッフェの順番を待ちました。ブッフェを待っている間、同じテーブルに座っていたおじいさんが私に向かって、「貴方に贈り物をあげます」と言ってポケットからみかんを一つ取り出して私にくれました。そして「今日はみかん二つを持って来ましたが、私には一つで十分です。」と私に言いました。夜明けから何も食べてもおらず、飲んでもいなかったのにそのおじいさんは持っていた二つのみかんの半分を分けてくれました。その甘くてジューシーなみかんを口にして、「もし私が同じように夜明けから断食していたら、自分が持っていたたった二つのみかんを朝から二食とおやつも食べている人にあげられるだろうか?」と考えました。みかん一つだけを持って「私にはこれで足りる」と言えるでしょうか?私だったらその場合「この人は一日中食べたり飲んだりしているから、私の方がこのみかんを食べるべきだ」と思っていたでしょう。
そのみかんを味わいながら、私は大変尊い布施をいただいた事に気がつきました。「布施」は仏教の大切な功徳の一つであり、自己中心的でない清らかな心で人に物を施しめぐむことを示します。イマム・イルマズ師は、ラマダンの祝祭期に断食をすることによって、信者は日頃いただく恵みのありがたさをさらに感じる事が出来、また日頃十分な食べ物を食べられず苦しんでいる人たちへの関心も深める事が出来ると説明して下さいました。さらに、自分がいただく物に対しての感謝が深まると、施しの意志が高まるとおっしゃられました。このイスラム教のラマダンの行事との触れ合いのお陰で布施のことをより深く考えさせられました。布施は大乗仏教徒が日常生活の中で目指す六波羅蜜という六つの功徳の中の一番目に挙げられたもので、施しはイスラム教の五つの柱の中の一つです。イスラム教徒と仏教徒はそれぞれ特有の教義と伝統がありますが、お互いに友好と尊敬の心を持って触れ合うことが出来れば、自己中心的な生き方を乗り越えようとする人達は宗教が異なっても共通の価値観があるのだという事に気づく事が出来るでしょう。
南無阿弥陀仏