親子のご縁

5月に宗祖親鸞聖人のご誕生を祝う降誕会(ごたんえ)を行います。降誕会では、親鸞聖人の子供の頃を描いた銅像を本堂に置いて、親鸞聖人が子供であった頃を思い浮べたいと思います。5月は母の日もありますので、母親へのご恩にも感謝する時です。降誕会と母の日が同じ5月というわけで、ここに親子のご縁を考えさせられます。ただここに言う親という存在は生物的な父母に限っているわけではありません。祖父母、学校の先生、スポーツのコーチ、仕事の上司等さまざまなご縁に親子関係が見えてきます。

親鸞聖人は幼い時にお母さんと離れ離れになったと伝えられており、その後、九歳の時に得度をして出家されました。親鸞聖人がお父さんとお母さんと共に暮らした時間は短いものでしたが、自分の心の中に「親様」としての存在は大きかったようで、『高僧和讃』には次のお言葉があります。

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尊い命

4月は花まつりの法要をお勤めします。花まつりというのは2,645年前にネパールにあるルンビニーの花園でお生まれになったゴータマ・シダッタのご誕生をお祝いする日です。仏陀になることを目指し何回も生まれ変わり、ずっと修行してこられた人を菩薩と言います。この仏陀になられる菩薩の誕生については『仏説無量寿経』に次のように述べられています。

右の脇から生れて七歩歩き、 その身は光明に輝いて、 ひろくすべての世界を照らし、 数限りない仏の国土はさまざまに震動する。 そこで、 菩薩自身が声高らかに、「わたしこそは、 この世においてこの上なく尊いものとなるであろう」 と述べるのである。

現代人の科学的な考え方から見ると、このような生まれ方は不可能であろうと思われるかもしれませんが、この話は化学的な現実よりも宗教的な真実を表しています。

            科学的な現実は目で見えるもの、耳で聞こえるもの、手で触るものなど物理的に計られるものに基づいています。その見方からすると、私の命はこの体から生まれた時に始まり、死ぬ時に終わるとなり、その考え方は計り知られるものに限られている。

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仏様が見る私

コロナ禍が私たちの日常生活に大きく影響し始めてから今年三月でちょうど2年が経ちました。お寺の行事、家族の集まり、友達との関係など色々な面で生活に影響が出ましたが、今振り返ってみると、子供たちが学校に行くことが出来ず、一年以上続いた家でのディスタンスラーニングが一番のチャレンジだったような気がします。自分の仕事、そして家の事や三男の相手をしながら、子供のオンライン学習のサポートもしなければならず自分の力の限界にぶつかることが多々ありました。子供がやる気がなくてもやらないといけない勉強をさせて、やりたくてもやってはいけないいたずらをさせないという管理は日々の課題でした。

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お浄土に往生したい?

    今月は、2,500年前釈迦牟尼仏が北インドのクシナガラに入滅したことを記念する「涅槃会」をお勤めします。悟りを開かれていた釈迦さまはこの世の命を終えた時、穏やかな心をもって死へ向かう涅槃寂静を得られました。阿弥陀如来の救いをいただく念仏者は、この命を終えた時、お浄土に往生し釈迦さまと同じ悟りを得ることが出来ますので、浄土の往生することを楽しみする人は多いはずですが、いかがでしょうか?

先日、一人のご門徒さんと話していたときに、「最近仏教を学び始めて、浄土真宗の教えにおいて、お浄土に往生することがポイントだと言うことは分かってきましたが、どうしてもお浄土に往生したいという気持ちは出てきません。このようにあまりお浄土に行こうと思わないことは反省すべきでしょうか?」と聞かれました。

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ねんぶつのせきがでるでる

    年末年始も近まり、今年は久しぶりに家族の集まりを予定している人が多いようです。私も二年半ぶりに家族をつれてミネソタ州にある故郷に帰ることにしました。久しぶりに両親に会うと、離れて住む家族と一つの場所に集うことの良さを改めて感じました。一つの暖かい部屋に座り、一つの鍋から美味しい料理をいただき、楽しい話をしながら、家族や友達と同じ空気を吸うのは本当にありがたい事です。実際に会って過ごすことで、電話やオンラインでは伝わらないことが伝わるのも良いところですね。

      私の知る方が、先日、家族でサンクスギビングを過ごされた時の話をして下さいました。久しぶりに家族全員が食卓に集まって、楽しい会話をしながらご馳走をいただいたそうです。しかし、その数日後、家族の一人が発熱とインフルエンザのような症状を訴え、その家族は新型コロナウイルスのワクチン接種もブースター接種もしていたにも関わらず、コロナウイルスのテストを受けたところ、陽性だったとのことです。それから家族全員がテストを受けたところ、さらに二人が陽性だったそうです。幸い皆がワクチンを接種していたので、重病には至らなかったものの、すでにワクチン接種をしていても、ホリデー中に集まりをする前はコロナウイルスのテストをしておいた方がいいですよと、その方は今回の経験から私にアドバイスを下さいました。

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悟りの道

12月5日(日曜日)午前9時半からサンマテオ仏教会にて釈迦牟尼如来が35歳の時に菩提樹の下でもろもろの魔を伏し、悟りを完成したことを祝う成道会をお勤めします。本堂で御参拝ご希望の方は、新型コロナウイルスのワクチン接種を完了された方に限り30名まで枠があり、事前登録が必要ですので、お早めにメールsmbt@sanmateobuddhisttemple.org 、又はお電話 (650) 342-2541にてご連絡をお願いいたします。尚、今まで通り、オンラインや電話を通しての永代経法要参拝も可能です。

釈迦さまは29歳の時に出家し悟りの道を求める旅に出られました。お釈迦さまが求めた仏になる道とは自分だけがさとりの世界に至る道ではなく、すべての人々がその世界に至ることができる誰もが歩める道であったので、仏の成道ができた時にはそれまで目指していた悟りの世界に辿り着いただけではなく、それから全ての人々を各々の悩みから救うための道のりも明らかになったのでした。

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悲しみと慈悲

            日本の仏教のお寺の特徴の一つはお葬式や法事が主な行事であることです。ちなみに、多くの人々の経験によると仏教は死との繋がりが強いイメージのようです。私が僧侶になったばかりの頃、若い時にお母さんを亡くした友達に「頻繁にその悲しい場にいるのは大変じゃない?」と聞かれたことがあります。

            死と関わる事は確かに悲しいことです。しかし、「悲しみ」とは私達の救いである仏様の「慈悲」と深い関係があります。親鸞聖人が書かれた『教行信証』に慈悲について次の言葉があります。

「慈悲によって、 すべての衆生の苦しみを除き、 衆生を安らかにすることのない心を遠く離れることである」 と述べられている。「苦しみを除くのを 「慈」 といい、 楽しみを与えるのを「悲」という。 慈によるからすべての衆生の苦しみを除き、 悲によるからすべての衆生を安らかにすることのない心を遠く離れるのである。」

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善人ばかりの家

私が浄土真宗に出会った頃、あるご法話の中で「善人ばかりの家には争いが絶えない」という不思議な言葉を聞きました。その時の私にとっての「善人」とは自分で正しいことをちゃんと分かって、いつも正しい行いをする人だと思っていました。私はもともとそういう善人になりたくて、仏教を学ぼうと思ったので、この言葉を聞いた時はびっくりしました。

そのまま聞けば善人ばかりの家では、皆が正しい考え方を持って、正しい行いをして、仲良く暮らしているに違いないと思うのが普通と思いますが、自分の家庭生活を振り返ってみますと、確かにこの「正しい」ということばが原因で争いになったことは少なくありません。親子や配偶者との間で、子育て、政治、運転、料理、服装、髪型などについてさまざまな意見が出てきて、自分だけが正しい考えと行いをしている「善人」だと思ってしまうと、すぐに対立になってしまい争いが絶えることはありません。

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人生の向かっている方向

最近、朝夕は少し冷えてきて、いよいよ秋が近づいているなと感じつつ、先月半ばから我が家の子ども達が皆なようやくインパーソンで学校に戻れたことにホッとしているところです。この一年間は殆ど毎日家で家族で過ごしていましたが、新学期が始まってからは、平日の朝は学校や仕事や買い物など、皆ながそれぞれの方向に向かって家を出ていきます。小学校二年生と五年生の息子二人は、朝学校に登校して、教室で先生と友達と勉強したり、昼休みはお弁当を食べたり、プレイグラウンドで走り回ったりして、楽しい学校生活に戻りました。

コロナ禍が始まった当初、一歳を迎えたばかりだった三男の徳眞は、まだ歩き始めたばかりの頃でおしゃべりも少ししかできていませんでしたが、その三男も今学年からはプリースクールが始まって、いよいよ家族と離れて、同じ年頃の仲間と一緒に遊ぶ新しい世界に入りました。実は徳眞が初めてそのプリースクールに通ったのは、次男の證眞と徳眞が夏休み中に参加していたデイキャンプでした。證眞も3歳の時からそのプリースクールに通っていたのですが、デイキャンプの時は證眞や同い年の友達らは一番年上の生徒として小さい子どもたちのお世話の手伝いもしていたそうです。

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再会

東アジアの仏教において、お盆はこの世を去った身内の方々が年に一度、生死の輪廻転生から家族のところへ帰り、共に時間を過ごす期間を意味します。人が亡くなると、四十九日間の「中陰」という期間にいる間に、次の生まれを受けると伝えられています。もし亡くなられた方がこの中陰の期間にお盆を迎える場合は、まだ次の生まれを受けていない可能性があるので、そのご家族は初盆を翌年に行う事が通常です。

但し浄土真宗の教えにおいては、阿弥陀如来の本願を信じる人は皆この世の命を終えるときに速やかにお浄土に往生し、生死の輪廻転生から開放されると説かれています。そしてその後は、お浄土から還相の菩薩として自由自在に全ての人を悟りの世界に導くために働きかけるとされています。そのお浄土からのお導きはお盆の期間だけではなく、一年を通して毎日働きかけて下さるものです。浄土真宗において、お盆は阿弥陀さまの本願の働きによって全ての人々が救われることを喜ぶご縁とされているので、これを「歓喜会」とも呼びます。先にお浄土に往生された方々は一年中私たちを導いて下さっていますが、一年の中でお盆はその方々とのご縁を大切にする法要になります。

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