善人ばかりの家

私が浄土真宗に出会った頃、あるご法話の中で「善人ばかりの家には争いが絶えない」という不思議な言葉を聞きました。その時の私にとっての「善人」とは自分で正しいことをちゃんと分かって、いつも正しい行いをする人だと思っていました。私はもともとそういう善人になりたくて、仏教を学ぼうと思ったので、この言葉を聞いた時はびっくりしました。

そのまま聞けば善人ばかりの家では、皆が正しい考え方を持って、正しい行いをして、仲良く暮らしているに違いないと思うのが普通と思いますが、自分の家庭生活を振り返ってみますと、確かにこの「正しい」ということばが原因で争いになったことは少なくありません。親子や配偶者との間で、子育て、政治、運転、料理、服装、髪型などについてさまざまな意見が出てきて、自分だけが正しい考えと行いをしている「善人」だと思ってしまうと、すぐに対立になってしまい争いが絶えることはありません。

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人生の向かっている方向

最近、朝夕は少し冷えてきて、いよいよ秋が近づいているなと感じつつ、先月半ばから我が家の子ども達が皆なようやくインパーソンで学校に戻れたことにホッとしているところです。この一年間は殆ど毎日家で家族で過ごしていましたが、新学期が始まってからは、平日の朝は学校や仕事や買い物など、皆ながそれぞれの方向に向かって家を出ていきます。小学校二年生と五年生の息子二人は、朝学校に登校して、教室で先生と友達と勉強したり、昼休みはお弁当を食べたり、プレイグラウンドで走り回ったりして、楽しい学校生活に戻りました。

コロナ禍が始まった当初、一歳を迎えたばかりだった三男の徳眞は、まだ歩き始めたばかりの頃でおしゃべりも少ししかできていませんでしたが、その三男も今学年からはプリースクールが始まって、いよいよ家族と離れて、同じ年頃の仲間と一緒に遊ぶ新しい世界に入りました。実は徳眞が初めてそのプリースクールに通ったのは、次男の證眞と徳眞が夏休み中に参加していたデイキャンプでした。證眞も3歳の時からそのプリースクールに通っていたのですが、デイキャンプの時は證眞や同い年の友達らは一番年上の生徒として小さい子どもたちのお世話の手伝いもしていたそうです。

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再会

東アジアの仏教において、お盆はこの世を去った身内の方々が年に一度、生死の輪廻転生から家族のところへ帰り、共に時間を過ごす期間を意味します。人が亡くなると、四十九日間の「中陰」という期間にいる間に、次の生まれを受けると伝えられています。もし亡くなられた方がこの中陰の期間にお盆を迎える場合は、まだ次の生まれを受けていない可能性があるので、そのご家族は初盆を翌年に行う事が通常です。

但し浄土真宗の教えにおいては、阿弥陀如来の本願を信じる人は皆この世の命を終えるときに速やかにお浄土に往生し、生死の輪廻転生から開放されると説かれています。そしてその後は、お浄土から還相の菩薩として自由自在に全ての人を悟りの世界に導くために働きかけるとされています。そのお浄土からのお導きはお盆の期間だけではなく、一年を通して毎日働きかけて下さるものです。浄土真宗において、お盆は阿弥陀さまの本願の働きによって全ての人々が救われることを喜ぶご縁とされているので、これを「歓喜会」とも呼びます。先にお浄土に往生された方々は一年中私たちを導いて下さっていますが、一年の中でお盆はその方々とのご縁を大切にする法要になります。

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カウンティフェアの匂い、ファームの匂い

昨年の三月からの16ヶ月間、新型コロナウイルスの対策のために、これまでなるべく外出を控えていましたが、今年の夏はようやくパンデミック前の楽しいアクティビティのある生活に少しずつ戻って来ているようです。そこで、この間、久しぶりに家族でサンマテオカウンティフェアに遊びに行ってきました。フェアにいる間、マスクはずっと付けていましたが、色々な匂いが漂っていてこれまでの色々な懐かしい思い出が浮かんできました。バーベキューやフライドポテトの匂いで、以前家族でフェアで過ごした楽しい時間を思い出しました。そして、農業展示場の豚やヤギ、牛などの家畜の匂いで、夏休みにアイオワ州に住んでいる親戚のファームに遊びに行った時のことを思い出しました。初めて息子を連れてアイオワの叔父のファームを訪問した際、叔父と叔母が飼っている牛の小屋を案内してくれていると、まだ幼かった息子は「臭くないところはある?」と叔母に尋ねました。すると、叔母は「ここは農場だから、匂いはしょうがないんだよ」と笑いながら答えました。

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往生しやすいにもかかわらず、往く人がまれである

まさに異例であった今学年度もいよいよ終わりに近づき、我がアダムス家は新型コロナウイルス対策のためこれまで一年以上やってきたホームスクール体験もようやく終わるなあと楽しみに思う今日この頃です。ホームスクールの多くの勉強はオンラインで行う形式であったので、息子たちがインターネットを開いて好きなビデオやホームページをいつでも見ることが出来る状況の中で、いかに彼らを勉強に集中させるかがリモート学習での大きな課題の一つでした。

息子たちが算数のオンラインプログラムで勉強しているはずの時間に全く関係のない馬鹿馬鹿しいウェブサイトやビデオを見ているのに気づく度に、私は「えっ、またこんなくだらないものを見ているの?」と言ってしまいますが、実は私が小学生の時一人で学校から帰った日は、父が仕事から帰ってくるまでは私も何時間も馬鹿馬鹿しいテレビを見ていました。今思えば、そんな私に気づいた父が全く同じ発言をしていた記憶が確かにあります。

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人々を救おうとする仏の深い誓い

1206年の十二月、後鳥羽上皇が熊野に参詣のため留守の間、上皇の女房である鈴虫と松虫は法然門下の安楽房と住蓮房の専修念仏の集いに参加していました。女房らはお念仏の教えを聞いた後、心が転換し、そこで出家したそうです。

鈴虫と松虫が出家したことを知ると、上皇は腹を立て、安楽房と住蓮房を含めた法然聖人の門下四人を死罪に処し、法然聖人と親鸞聖人を含めた八人を流罪にしました。法然聖人は四国の方に流罪となり、残りの七人は僧籍を取られ、越後や九州、日本中に配流されました。その時、法然聖人の門下は悲しく思いましたが、法然聖人はこれもお念仏のご縁ですとお教えになられたそうです。法然聖人は流罪になった時、次の言葉を述べられています。

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無言の中に喜びあい

今年の春の訪れに伴い、去年と同様、2021年3月21日にお彼岸法要をインターネットと電話でライブ中継で行います。昨年の3月から今月までの丸一年、私たちは新型コロナウイルス感染拡大を防ぐための規則の中で生活してきましたが、いよいよ予防接種が完成し、すでに予防接種を受けられたご家族や友人らも多くなってきましたし、感染率も減少傾向のようで、希望の光が少し見えてきました。コロナウイルス発生から一年が経ってようやく、戻ることの出来る元の生活の岸が大分はっきり見えてきた気がしますが、私たちがまだまだ疫病の海の真ん中に浮かんでいるのが現実です。

新型コロナウイルスの感染が深刻な時の生活は未知の海を航海するようなものに感じられましたが、人間の長い歴史の流れを振り返りますと、疫病という存在は常にあったと気づくことが出来ます。そして、私たちは生死の海を渡られた先人の方々の智慧をいただくことにより、私たちのために照らされてある彼岸への道を見つけることが出来るでしょう。

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真実の智慧を依りどころとし、 人間の分別に依ってはならない

2月は釈迦牟尼仏陀がこの世で最後の息を吸い入滅寂静を遂げられたことを記念する涅槃会をお勤めします。この涅槃会で私たちは、生を受けるものは必ず死に至るという真実に気づくことができます。悟りを開いた釈迦牟尼仏陀でさえ死に至ったということは、いつまでもこの生命を伸ばすというのは仏法の目的ではないことを明らかにしています。つまり、お釈迦さまは自分自身で諸行無常の道理を示されたのです。 

仏法は、このいただいた人間としての生を充実したものにし、心安らかに死と向き合える力を与えてくださいます。ちょうど昨年の今頃、初めて新型コロナウイルスの感染者がここ西海岸にも出たニュースを聞きましたが、それから一年の間に人生のありがたさに気づかされたことが何度もありました。その度に「私は極楽往生への落ち着いた心をいただいているだろうか?」という自分自身への問いがわきました。

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松竹梅

まさに異例であった2020年がようやく終わりを迎え、2021年を新たに迎えるにあたって、家に門松やしめ飾りなどの正月飾りをされているご門徒さんもおられると思います。正月飾りに使われる松、竹、梅は、日本ではお祝いの場面でよく登場します。この松竹梅ですが、我が家にあった『「和」の行事えほん』(高野紀子 作)によると次の説明がありました。

松竹梅(しょうちくばい)は「歳寒三友(としかんさんゆう)」ともいわれ、「冬の寒さにたえるたくましい三本の木」という意味があります。

松は、冬も青々としていることから、竹は、雪の重さにも折れないしなやかさから、梅は、早くさいて春のおとずれを知らせる、ということから、めでたい木の代表となりました。(41頁)

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