六波羅蜜の行を身にそなえる

今月春を迎えて、3月19日(日曜日)9時半から秋のお彼岸法要をお勤めします。お彼岸は日本の仏教のほぼ全ての宗派が用いており、六波羅蜜を学び、それを実行する期間のことです。六波羅蜜というのはこの迷いの世界(此岸)から仏さまの悟りの世界(彼岸)に渡る人たちが遂行する六つの行いのことを意味します。六波羅蜜を下記に紹介します。

1) 布施(ふせ)

布施というのは見返りを期待せずに心広く与えること、自分の利益をはからずに他人のニーズに応じて与えることを指します。釈迦様は本来、在家の人たちに僧侶や貧しい人々に布施をすることを勧めました。高僧の龍樹菩薩(150-250)は財施(財産を与える布施)・法施(仏法を教え与える布施)・無畏施(畏怖をなくしてあげる布施)の三種を述べており、このことから布施というのは物を与えることだけに限られているわけではないことが分かります。

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ブッダ入滅前の食事

ブッダが布教をされていた時、チュンダという鍛治工(かじこう)の子がいました。その時代、鍛治工は身分の低い仕事でしたが、チュンダは綺麗なマンゴー林を持っており、ある時ブッダはそのマンゴー林に泊まりました。王子として生まれたブッダのような身分の高い人が身分の低い鍛治工(かじこう)と交流することは殆どなかったので、チュンダはとても光栄に思いました。

チュンダはブッダが説かれた教法をとても喜び、ブッダとその弟子を自分の家で食事をするように誘いました。ブッダは黙ってその誘いを受け入れ、チュンダは立派なご馳走を用意してくれました。

ご馳走の中の一つの料理はたくさんのきのこで出来ていました。そのきのこの料理が出された時、ブッダはその料理を自分だけのものとして、一緒に来た仏弟子には他の料理をあげるように言いました。ブッダはそのきのこ料理を食べ終わると、この料理は既に悟りを開いた人だけが食べられる。」と言い、チュンダに残りは穴に埋めるように言いました。

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報恩講:親鸞聖人のご遺徳を偲ぶ法要

            浄土真宗本願寺派では毎年一月に宗祖親鸞聖人(1173〜1263)のご遺徳を偲ぶ「報恩講」という法要をお勤めします。報恩講は、親鸞聖人の曽孫の覚如上人によって親鸞聖人の三十三回忌の時に初めて行われ、それ以来続けられている特別な法要です。毎年、浄土真宗本願寺派の本山である京都の西本願寺で行われる御正忌報恩講では一月九日から十六日まで連日お勤めが行われ、中でも十五日の夜には日本各地から布教使が本山を訪れ、「通夜布教」という夜通しの法話会が行われます。今年のサンマテオ仏教会の報恩講は、一月二十二日にお勤めします。この報恩講は浄土真宗のお寺にとって、一年の中で最も大事な法要です。

            もし私が御門徒の皆さんに「一年の中で最も大事な法要は何ですか?」と尋ねたら、皆さんは釈迦牟尼仏の誕生を祝う花祭かまたは亡き家族を偲ぶ盂蘭盆会(お盆)と答える方が少なくないでしょう。では、なぜ報恩講が最も大切にされているのでしょうか?

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阿弥陀仏の薬

我が家には小学校とプリスクールに通う三人の子供がいて、この季節になると次々と誰かが熱を出したり、咳をし始めます。釈迦様が生老病死の四苦は誰も逃れることはできないとおっしゃったように、病気になることは人生の一部として受け入れるしかありません。とは言うものの、私たちは病気になると、症状を軽くするため、そして早く元気になるために薬を飲みます。また、病気やその症状がひどくならないように病気になる前に飲む薬もあります。そして、どの薬を飲んだ方がいいか知りたいときにはお医者さんにアドバイスを求めたりします。

仏様はよく良い医者に例えられます。良いお医者さんが病気を徹底的に調べた上で適切な薬を与えるのと同じように、仏様は皆の悩みを深く理解して、適切な教えを説かれます。

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お陰様で続ける

20代の頃の私は、やるべき事を速く終わらせていち早く次の課題に移ることに楽しみを感じていましたが、40代に入った今は長く継続して行えるアクティビティをよりありがたく思うようになりました。というのも、私は20代後半、宮崎県に住んでいて、その時に趣味として自転車を乗り始めました。ほぼ毎朝早起きをして、仕事が始まる前に海岸沿いを一時間ほど自転車で走っていました。その頃の私は、速く目的地について、速く帰ってきて、速くご飯を食べて、速くシャワーを浴びて、出勤時刻に間に合うように速く通勤することを楽しいと思っていました。そして、そのような忙しい日々を送っていた頃の私は、とにかく短い時間の中で出来るだけ多くのことをこなそうと、物事を早く終わらせるための自分の努力ばかりに意識が向いてしまっていました。

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サンマテオ仏教会は開いています!

ダーマスクールの新学期も始まり、サンマテオ仏教会は皆様の参拝のために毎週開いています。幅広い年齢のご門徒さんたちが本堂に集まって一緒にお参りをする姿を見ると改めてお寺の有り難さを深く感じます。お寺というのは同じお念仏を喜ぶ仲間が集まり、嬉しいことがある時には一緒に喜び、悲しいことがある時には共に悲しむとても尊い場所です。

お参りが始まる前にお寺に来られる方は、まずお焼香してお香の香りを楽しみ、お内陣を眺めながら心静かに座って一週間の出来事などを顧みながら喚鍾の音を待つことができます。また、お参りが終わった後は、本堂の中通路を並んでお焼香する順番を待つ他の参拝者の方々に挨拶をしたり楽しい会話をすることができます。

お参りの後に時間に余裕がある時には、お寺に残って、ダーマルームや駐車場でその日の法話の味わいを話し合ったり、最近悩んでいることを相談したりすることもできるでしょう。また、今まで話したことのなかった参拝者の方と会話をして、共通点を見つけることもあるでしょう。そのことで共通の話題についての情報やアドバイスをシェアすることもできますし、共通点を通して自分のことを理解してくれる仲間が一人増えたことで楽しみと安心感も増すでしょう。

まじめな話ばかりをするのではなく、日常生活や趣味の話しをするのもいいでしょう。好きなスポーツチームの成功や失敗を語り合うことで、共感してくれる仲間に改めて親近感や有り難さを感じるでしょう。釣りやガーデニングのテクニークやコツについての会話が弾めば、生き物の命への理解がさらに深められるでしょう。

なんとか頑張ってお参りとダーマスクールの間、座って参拝してくれた子供たちはだいたい帰る前にお寺中を走り回ることを楽しみます。ステージもあって階段もあって、大人達に「気をつけて〜」と言われながら、友達と一緒に想像力を生かして体を動かすゲームを色々考え出します。子供の時にお寺で知り合う友達が一生の法友になることもよくあります。年齢や学校が違っても、仏様が育てる尊い空間の中で知り合うので、子供たちの間に特別な絆が生まれます。

中には毎週お寺に来ることができない方や家族もいるので、これからもオンライン中継でのお参りも並行して続けていく予定です。オンライン参拝によって新しいお参りの可能性が開けたことは本当に有り難いと思います。

このようにお寺にお参りすることについて、『蓮如上人御一代記聞書』に次の言葉があります。

「一日のたしなみとしては、 朝の勤行をおこたらないようにと心がけるべきである。 一月のたしなみとしては、 必ず一度は、 親鸞聖人の御影像が安置されている近くの寺へ参詣しようと心がけるべきである。 一年のたしなみとしては、 必ず一度は、 ご本山へ参詣しようと心がけるべきである」

(現代語訳 46章)

お念仏を喜ぶ仲間と声を出して共にお経を唱えることで、仏様の言葉がさらに心に響いてきます。他の参拝者と共に阿弥陀如来の御本尊や親鸞聖人の御影像の前に肩を並べて座ることによって、悟りの世界に向かって共に人生を歩んでいく仲間の存在を実感し、同時に心強くなれます。これからもお寺で皆様のお念仏の声を聞けることを楽しみにしています。

南無阿弥陀仏

世話をして世話になる

夏の終わりが近づくとまもなく秋の彼岸を迎えます。このお彼岸の季節に、私たちはあらためて、仏様の大慈悲を心のよりどころにし、これまでの人生を支えてくださったご縁を省みながら智慧の光が照らす安楽国への道の方角を確認します。

今年の夏休みに私は家族を連れてアイオワ州にある介護施設で暮らす祖母に会いに行きました。訪ねた日はとても元気で、私がまだ聞いたことがなかった彼女が生まれ育ったカンザスシティの都会での暮らしや思い出、そして祖父と結婚した後に移ったアイオワ州の田舎にある畜産農業を営む祖父の実家での暮らしに慣れるまでの経験を色々と聞かせてくれました。

祖母はカンザスシティの都会で暮らしている間、まさか将来自分が農家の人と結婚して農場に住むとは全く想像していなかったそうです。祖父は当時、航空整備学校で学ぶためにカンザスシティに引っ越して来ていて、祖母に出会った時はトランスワールド航空会社で航空整備士として働いていました。祖父は七人兄妹の一人息子で、姉妹たちはまだ結婚していなかったので、代々守ってきた農家の後を継ぐのは彼の責任でした。

祖母は、農家の生活は都会の暮らしのように楽なものではなかったと言います。農家に住み始めた頃は、家の中ではなく畑や家畜小屋で働くことの方が多かったようですが、畜産農業の運営が落ち着いてくると農家に働きに来る人たちが増えてきたため、今度は祖母は皆の食事を作る担当になりました。料理の材料を作るためにも野菜畑をどんどん増やさないといけなかったので、ある時は作物畑の端のスペースにも野菜を植えたこともあったそうです。農家の仕事は肉体労働のため、食時の時になると皆はとてもお腹が空いていて、食卓の上に置いた料理だけでは足りず、もっと用意して玄関にあったテーブルの上にも食べ物を置いて食べさせていたそうです。

私の母は七人兄妹の長女で弟が三人、妹が三人いたので、祖母にとって七人の子供を育てるのも大切な仕事でした。子供たちは自分たちで育てて良い牛や鶏などの家畜を与えられ、それらを自分たちで世話をすることで、家畜を売った時の利益が子供たちの小遣いになりました。家族が住んでいた農家の寝室は全て二階にあり、祖父母の部屋と洗面場を繋ぐ廊下はその間にある子供部屋の中を突き通っており、僕の叔父たちは子供の頃よく夜遅くまで騒いでいたそうですが、翌朝早朝から農場の仕事に出ないといけない祖父母は子供が起きないようにそっと出て行くのもお構いなしだったと祖母は笑いながら語ってくれました。

祖母の思い出話を聞きながら、祖母が広い心で色々苦労をしながらも農家を営みつつ家族を大切に育ててくれたおかげで、私が今日ここに生かさせていただいているのだとあらためて祖母への感謝の気持ちが込み上げてきました。祖母はこれまで長年たくさんの人のお世話をしてきました。そしてここ数年になってからは、私の母と叔父叔母が少しずつ祖母の世話をするようになってきました。常に移り変わる人生の中で、お世話をすることとお世話になることの関係性から見えてくる命の繋がりのありがたさを深く感じます。

祖母が都会から田舎の農家に嫁ぎ、私の母を育て、家族のための苦労がなければ、私は今ここに生かされていませんでした。同じように、阿弥陀如来が私を救う本願を誓ってくださっていなければ、私が安楽国に至ることもできません。親鸞聖人はこれを正像末和讃(98)に次のように述べられています。

如来(にょらい)願船(がんせん)いまさずは

()(かい)をいかでかわたるべき

阿弥陀仏の本願の船がなかったなら、

苦しみに満ちた迷いの海をどうして渡ることができるであろう。

南無阿弥陀仏

歓喜会

8月に行う盂蘭盆会(お盆)はお釈迦様が目連尊者という仏弟子に説かれた布施(ほどこし)についての教えに基づく法要です。目連尊者は自分の母親が亡くなった後、餓鬼道という欲が多く、満足する事のない苦しい世界に落ちていることを見てすぐにお釈迦様のところへ行き、どうすれば母親を救うことが出来るか尋ねました。お釈迦様は目連尊者に僧侶の仲間に食べ物や衣等のお布施をするよう説かれました。そして、お布施をした後、母親が餓鬼道から開放された様子を見た目連尊者はとても喜びました。

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甘味と苦味

先月、友達と一緒にサンマテオ・カウンティ・フェアに行って帰ってきた長男に、「何か美味しいものを食べた?」と聞くと、「うん、コットンキャンディーを食べた!」との答えでした。コットンキャンディーの味は甘さそのもので、私も子供の時は好きでしたが、私がこの間久しぶりにコットンキャンディーを食べると、あまりの甘さにびっくりしてしまいました。私が子供の時の好きだった食べ物も、とっても甘いものかとっても塩辛いものが多かった記憶がありますが、この歳になるとようやく色々な味が楽しめるようになってきたように思えます。

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心の休め方

6月に入ると学年も終わって、いよいよ夏休みを迎えます。夏休みを目前にして、学生らは一年間の学習をまとめた試験や大きいプロジェクトを頑張って終えないといけません。この季節になると私は自分の大学時代が懐かしく思えて、ラーソン先生という日本語を教えていただいた教授のことを思い出します。ラーソン先生は期末試験が終わると「皆さん、お疲れ様でした。よく頑張りました。出来れば今年習ったことを忘れないように、夏休み中に少し日本語に触れ合った方がいいですが、来週までは日本語教科書を開けずに、ゆっくり休んでください。」とおっしゃっていました。一つの仕事を終わらせたら、休むことが大切です。休みながら今までに達成したことを振り返られるし、その後に何をすべきなのかも考えられるからです。

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