August 2026 Minister’s Message (日本語)

ともに歩むよろこび

― バザーに息づく御同朋・御同行のこころ ―

 

6 月 28 日と 29 日の両日に、私は初めてサンマ テオ仏教会のバザーに参加しました。数週間前 から準備が始まり、当日は朝早くから夜遅くま で、さらに後片付けに至るまで、さまざまな世 代の方々が力を合わせて働く姿がありました。 楽しみながら互いを支え合う様子を見て、私の 心に浮かんだのは「御同朋・御同行」という言 葉です。

親鸞聖人は、門弟を単なる「弟子」としてでは なく、「御同朋・御同行」と敬いの気持ちを込 めて呼ばれました。それは、師と弟子という上 下の関係ではなく、同じ煩悩を抱えながら、阿 弥陀さまの本願に照らされ、ともにお念仏の道 を歩む仲間だからです。八百五十年以上前に大 切にされたこの精神が、日本から海を渡り、約 百二十年の歴史をもつサンマテオ仏教会にも確 かに息づいていることを、今回のバザーで実感 しました。

このバザーを支えてくださったすべてのボラン ティアの皆さまに、心より感謝申し上げます。 皆さまの温かいご奉仕と支え合う姿に、御同 朋・御同行のこころを教えていただきました。

バザーは重要な資金集めでもあります。お寺の 建物は年月とともに老朽化が進み、今年はご本 尊の阿弥陀如来像と内陣修復という大きな節目 を迎えています。これからも建物を守り、次の 世代へ受け継いでいくためには、皆さまからの 経済的なご支援は欠かすことができません。そ して、お寺を本当に支えているのは、人と人と のつながりです。互いを思いやり、「このお寺 を未来へ残したい」という願いを共有すること が、何より大きな財産です。

もう一つ、心に残った出来事があります。長 年お寺でお預かりしてきたお仏壇、仏具、お念珠などが、すべて新しい持ち主のもとへ引き取 られていきました。それらは、かつてご門徒の 家庭で、日々手を合わせ、お念仏とともに大切 に使われてきた品々です。今回のバザーは、単 なる整理ではなく、それらが新しい家庭で再び 仏縁を結ぶ機会となりました。

六百年前、蓮如上人は多くの名号を書き、日本各 地へ届けられました。その名号のもとに人々が集 まり、お念仏の教えが広がり、多くの真宗寺院が 生まれました。私の実家である福岡のお寺も、そ の頃に浄土真宗のお寺となりました。今回、サン マテオ仏教会から家庭へ渡ったお仏壇や仏具も、 仏法、そしてお寺との新しいご縁を結ぶ種になる ことでしょう。

私は、より多くのご家庭にお仏壇を迎えていただ きたいと願っています。大きなお仏壇である必要 はありません。「南無阿弥陀仏」の名号のお軸 と、小さな花瓶、香炉、ろうそく立てがあれば、 ご家庭の一角に仏さまをお迎えできます。日曜日 にお寺へ来る時だけでなく、日々の暮らしの中で 手を合わせ、「南無阿弥陀仏」とお念仏を称える 機会が生まれます。

お仏壇を迎えたいけれど、どのようにしたらよい か分からない方は、どうぞお気軽にご相談くださ い。みなさまの住まいや生活に合った、無理のな いお仏壇の形を一緒に考えていきたいと思いま す。

一人ひとりのお念仏が家庭へ、家庭からお寺へと つながり、御同朋・御同行のこころが、次の百 年、その先の未来へ受け継がれていくことを願っ ています。

合掌

鬼倉ブライ知永美

心穏やかな踊り

仏教の目標が自我を忘れさせることであれば、盆踊りはそのための良い実践法の一つと言えるでしょう。盆踊りはパフォーマンスではありません。踊って自我を忘れることにより、仏法が私たちの人生に働きかけ、物事の見方を違う角度からも捉えられるよう心を転回させてくれるのです。

今の争いが多い世の中において、盆踊りは皆が仲良く心穏やかになる行事です。盆踊りと言えば、私が開教使なったばかりの頃に参加した盆踊りの経験を思い出します。その日、盆踊り開始の時間が近づくと、踊りの先生たちが綺麗な浴衣を着て仏教会の駐車場の真ん中で小さい輪をつくった途端、すぐにたくさんの人たちがその周りに集まりました。参加者の半分ぐらいは他の仏教会から踊りに来ていたようで、初めて盆踊りを見に来た方たちも大勢いるようでした。初めて来た人たちは、輪の真ん中にいる浴衣を着た人たちが踊りを見せてくれるだろうと思った様子で、なるべく真ん中に近づこうとしていました。

踊るのを目的に来た人たちはあちらこちらに点々とわかれ、真ん中に近いところや外側、その間に程よく混じっているようでした。そして、踊りの音楽が始まると、素晴らしい出来事がありました。踊りを経験したことがある人たちは真ん中の先生たちの動きに倣って踊り出し、自然と三つの輪を描くように皆が進み始めました。すると、見物だけのつもりで来た人たちは踊りの真ん中にいるのに気づくと、ある人はパニックになって急いで輪の外に移動し始め、ある人は「これは面白い!」と喜んだ様子で踊りの流れについて踊りに参加していました。この時、初めて一緒に踊りに加わった方々は不安な気持ちから喜びへと変わった心の転回を通して、盆踊りの楽しさを味わう事が出来たと思います。

皆さんは、自分の人生が思う通りにいかない時はどのように反応するでしょうか? 私が自分の思う通りに人生がいっていない時は、イライラして自分の期待に更に執着する傾向があります。そして、自分の行きたい方向に進むようもっと努力すれば、どうにか私の思う通りになるはずだと思いがちです。しかし、本当に自分の思う通りにいかないことに気づくと、今度は不都合な現実から早く逃げようとしてしまいます。このように自分の思う通りの事情を追いかけたり、不都合な現実から逃げたりすることからは、安定した心の安心を得ることはできないと仏様は教えてくれています。

私にとって盆踊りは、追いかけたり逃げたりする私たちの心からそのままの現実を受け入れる穏やかな心に転回する尊いご縁だと思います。先にお浄土に往生した方々の導きを頂きながら、共にこの人生を歩むお念仏の仲間と共に仏様の悲願の船に乗り、心穏やかに踊らせていただきましょう。

南無阿弥陀仏

慈しみあわれむ親様

五月は母の日をお祝いします。「母親」と言うと、ある人は生みの母を思い浮かべるでしょうが、ある人は生みの母ではなく、自分に優しくしてくれた方を思い浮かべるでしょう。一人の御門徒さんはご自身の生みの母の近くにはお住まいではないものの、「お寺の婦人会にお母さんがたくさんいます。」と、よくおっしゃっていました。そして、婦人会の方に何か注意された時には、「はい、お母さん、分かりました!」と返事し、何か手伝ってもらった時には、「お母さん、ありがとうございます!」と言っていました。彼女の言う「お母さん」という存在は、生みの親ではなく、自分のことを思ってくれる存在を意味しています。

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特別法座:江本常照先生 Special Dharma Lecture by Rev. Jōshō Emoto

2024年7月8日(月曜日)午後3時からサンマテオ仏教会の本堂で特別法座を行います。

Monday, July 8, 2024

3:00 p.m. (Pacific Time)

Special Dharma Lecture live in person at the San Mateo Buddhist Temple.

江本常照先生

真宗大谷派 普光山長仁寺 住職

大分県中津市

Rev. Jōshō Emoto

Resident Minister, Choninji Temple

Nakatsu City, Oita Prefecture, Japan

この日本語の法座は英語の通訳付きで行います。

This talk will be delivered in Japanese with English interpretation by Rev. Henry Adams.

オンライン(ズーム・ミーティング)で参加する方は、ここで「日本語の法話」に登録してください。
To join us online for this hybrid Dharma Session, CLICK HERE and sign up for “日本語の法話”.

春に咲く花

私の実家があるミネソタ州は冬が寒いので、子供の時、毎年秋には枯れた花を取り除く母の庭仕事を手伝って、次の春のための庭の土を準備したものです。ある年の 11月、私は庭に花の球根を植えながら「これから四ヶ月先まで土はずっと凍っているのに、なぜ今これを植えないといけないかな」と不思議に思っていました。

しかし、翌年の4月になるとたくさんのチューリップやクロッカスの花が綺麗に咲きました。その四ヶ月の間、庭には何も生きている植物はないと思っていましたが、そこにはちゃんと美しい命が存在していて、出てきた芽や花を見た時は感動しました。つまり、庭に命が消えていた訳ではなく、形を変えて存在していただけだったのです。その時の花が咲いたことを見て気付いた自然界の経緯を思い返すと、過去の原因が今の結果になることが理解できます。

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西に向かって

サンマテオ仏教会に赴任する前の3年間半、私はオックスナード仏教会とサンタバーバラ仏教会を任されていました。ある日、サンタバーバラ仏教会のメンバーの方から電話があり、「馬場さんが入院しています。先生が会いに行ってあげたら喜ぶと思います。」と伝えてくれました。馬場さんは95歳の帰米の男性の方で、法要の時は必ずスーツとネックタイを着て参拝されていました。口数の少ない方でしたが、法話の時の熱心なお聴聞の姿が印象に残っています。

その当時は、我が家の長男が一歳になったばかりの頃で、まだまだ子育てしながらの生活に慣れておらず、連絡をいただいた時はその内容に少し慌てていたところでした。馬場さんの病室に入るとたくさんの医療機械がベッド脇に並んでいて、ピーピー音を出して作動していました。馬場さんは私を見ると、「先生、お忙しい中、ありがとうございます。」とすぐに挨拶をしてくれました。私は「馬場さん、どうですか?」と聞いたら、「まあ、ぼちぼちです。先生の奥様と坊やは元気ですか?」と答えてくれました。

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釈迦様にいただく安心

二月は釈迦様の入滅を偲ぶ法要、涅槃会を行います。釈迦様は自身が入滅することにより、生まれる者は必ず死に至るという人間の姿を示されました。このようにいつかは死に至る限られた人生を生きる私たちは、どこに生きる目的を見つけたらよいのでしょうか?世の中を見ていると、名誉や利益のために生きている人も多いと感じることがあります。このことについて、親鸞聖人でさえ正像末和讃に次の言葉を述べてあります。

是非(ぜひ)しら​ず(じゃ)(しょう)もわか​ぬ

この​み​なり

(しょう)()(しょう)()も​なけれ​ども

(みょう)()(にん)()を​このむ​なり

ものごとの善悪も、 正しいことやよこしまなことの区別もつかない

この身である。

わずかばかりの慈悲さえもっていない身でありながら、

名誉や利益を求めて人の師となることを望むのである。

世の中で名誉と利益が人生の中心になってしまうことは親鸞聖人の時から今まで変わっていません。親鸞聖人のこの言葉を読むと、私も名誉と利益に振り回されているその一人だという気がします。

インターネット時代の今、多くの人がソーシャルメディアで自分のイメージを管理することに忙しく、「いいね」という反応を集めることで誰でも名誉を感じることができるため、中毒的に多くの人がそれに多くの時間を費やしてしまっています。名誉のために生きていると、人にどう評価されているかが気になり、心や物事に対する視野が狭くなってしまうことがあります。「ある人に注目が集まっているという事は、もしかすると私は無視されているのではないだろうか」と心配になったり、「周りの誰かが褒められたということは、私の評判が低いということなのではないだろうか」と周りの人を嫉妬してしまうことさえ起こりえます。名誉を求めると切りがなく、名誉によって安心を得るというよりも、むしろ逆に不安になることが多いようです。

利益のために生きると命の尊さを忘れてしまう恐れがあります。現代の社会は、利益を集める経済力によって人生の価値をつける傾向があり、学校の先生やケア・ギバーなど人のために働く人たちの生活は厳しくなっています。それに加えて、人工知能(AI)の発展に伴い、ある仕事はA Iが取って代われる可能性があるので、ビジネス面では人件費の削減につながり会社の利益向上が見込めるものの、もし今自分がしている仕事が要らなくなると、自分の職員としての価値がなくなるのではと心配している人も沢山いるようです。自分だけの利益を求め始めると、それも切りがなく、利益によって安心を得るというよりも、逆に不安になります。

凡夫は名誉と利益に迷い不安になります。釈迦様は凡夫に本当の安心を与えるためにこの世に現れたことについて、親鸞聖人は「正信念仏偈」に次の言葉を述べてあります。

如来が世に出られるのは、 ただ阿弥陀仏の本願一乗海の教えを説くためである。

五濁の世の人々は、 釈尊のまことの教えを信じるがよい。

阿弥陀如来の本願は全ての人々を分け隔てなく救う誓いです。名誉というのは名誉により知られている人と知られていない人を分け隔てます。利益というものは裕福な人と貧乏な人を分け隔てます。釈迦様はこの名誉と利益の世界に迷い苦しんでいる私たちのために本願の教えを説かれました。

私たちの人生は、決して名誉と利益によってだけ尊くなる訳ではありません。本願に出会える人生そのものが苦しみから救われる尊いものです。私たちが日頃耳にする「南無阿弥陀仏」のお念仏は、阿弥陀仏が「あなたを必ず救います」という仏様の呼び声です。そして、私たちが口にする「南無阿弥陀仏」とは、仏様の呼び声を聞き信じることで湧き出る「お救いいただきありがとう」という喜びと感謝を表す声です。釈迦様はこのお念仏の安心を私たちに与えるためにこの世に現れてくださったのです。

南無阿弥陀仏

辰年

新年おめでとうございます!干支に2024は辰年で、竜の年です。昔から仏教において、竜は仏法を守る役目を果たすと言われています。そして、多くのお寺で、香炉、襖、お内陣の荘厳などに竜の彫刻や絵を目にします。親鸞聖人の『皇太子聖徳奉讃』に、聖徳太子が建立した四天王寺の敬田院で竜が仏法を常に守っていることが述べてあります。

この()の​うち​に麗水(れいしゐ)あり

荒陵(くわうりよう)()と​ぞ​なづけ​たる

(しやう)(りう)つねに​すみ​て​こそ

(ぽふ)(しゆ)()せしめ​ける

日頃、私たちは財産や身体を守るために色々な手段を使っています。泥棒が家に入らないように家には鍵を掛けて財産や身体の安全を守ります。車にもアラームを付けて窃盗から守ります。スケートボード、アメフト、アイスホッケーなど荒々しいスポーツをする人は身を守るためにプロテクターをつけます。 私が自転車を乗る時には頭を守るためのヘルメットを被り、皮膚を守るための日焼け止めを塗ります。このように、私たちは大切なものを守りたい時や、泥棒や紫外線のような被害を与えるものが中に入らないように様々な手段を取ります。

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慈悲の光明が常に照らしてくれる

最近、中東からの悲しいニュースが毎日届く中、ウクライナでの戦争も長引いており、さらにアメリカ国内での乱射事件も次々と起こって、この世の中はむさぼりといかりとおろかさに目が遮られ、全ての人々は共生する事の大切さが見えなくなってきているように思えます。こういう暗みが多い時にこそ、他宗教の仲間と集まり共に世の中の平和の願いを表すことで希望の光が見えてくると思います。先日、他宗教の友人と話す中で、ユダヤ教ではハヌカー、イスラム教ではラマダン、ヒンズー教ではディーワーリー、キリスト教ではクリスマスと、多くの宗教には暗闇の中の光の輝きを喜ぶ祝日があることに気付きました。

日本の仏教においては、釈迦牟尼如来が悟りを開いた日を記念する成道会を12月8日に行います。成道会とはゴータマ・シッダッタが悟りの道と智慧の光を求めた歩みを振り返りながら、仏様の素晴らしさを褒め讃える法要のことです。

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人生の素晴らしさ

先月、私は私の両親と家族とともに、両親が結婚の約束をした土地グランドキャニオンを訪れ、両親の結婚50周年記念をお祝いしてきました。実は5年前にもそこで皆で父の70歳の誕生日をお祝いしていて、どうやらまた5年後にもそこで父の80歳の誕生日をお祝いする計画が既に始まっているようです。

何億年もかかってコロラド川の渓流によって削り出され出来た壮大な地層が目の前に広がるグランドキャニオンは、長い長い時の流れを味わえる理想的な場所だと思います。その渓流によって絶えず砂や岩が移動し続けることで峡谷が常に移り変わっていくのです。ロッキー山脈の雪が溶ける春には、大量な水が流れ、その雪解け水の勢いで車の大きさ程もある岩すらも流され、峡谷をもっと深く削っていきます。パーク・レインジャーから聞いた話によれば、もし50年後にまたグランドキャニオンを訪ねると、ハリー・ポッターの本一冊分の厚さ(約7センチ/3インチ)ほど更に深くなっているとのことでした。

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