本物

今年も七月の第一日曜日(七月七日)九時半からのお参りにて北米開教区の歴代開教総長追悼を行います。北米開教区の歴代開教総長たちはそれぞれの時代の事情と課題に応じて勇気を持って教団を指導され、北米にお念仏を広めるため各仏教会に配属された開教使らとその御門徒に多くの力を与えて下さいました。 北米の浄土真宗教団の歴史の中でも第二次世界大戦中の日系人収容は大変苦難なものでした。大日本帝国海軍が1941年12月7日にハワイの真珠湾を攻撃した後、日本との関係が親しくリーダーが主に一世の日本人移民であった当時の北米開教区はアメリカ社会に疑われたり、敵対されたりしました。

西海岸に住んでいた大勢の日系人たちが強制移動を命じられ、内陸のわびしい土地に慌てて作られたキャンプに収容された後、ユタ州のソールトレークシティーにて緊急北米開教区会議が開かれました。そこで、カリフォルニア州にBuddhist Churches of America (BCA)という新たな宗教法人を登録する事によって、それまでのBuddhist Mission of North Americaと識別する方針が決められました。BCAの理事会はアメリカ生まれの二世によって構成され、教団の公式言語は英語に定められました。 そして、二世開教使の久間田顕了先生が松蔭了諦開教総長の支持を得て、理事会長に任命されました。

久間田先生は松蔭総長のもと、主に英語を話す若い二世のための開教活動を担当されました。そして、特に戦争が始まったばかりの危うい状況の時に、教区の英語の代表者として積極的に務められました。その頃、久間田先生が書かれた便りと法話は各収容所によく普及され、厳しい現実に向き合わされていた日系の念仏者に多くの安心と導きを与えました。

私は最近、アーカンソー州にあったジェローム戦争移住センターの1943年10月3日号会報Denson YBA Bulletinにあった久間田先生が書かれた次の法話を読みました。

隠れた徳性

天ぷらが美味しいと思う人は多いでしょう。天ぷらを食べているとき、たまに衣の中は何の食べ物が入っているのかと予想して、それが当たるかどうか確認しながら食べるのはとても楽しいことです。しかし、衣だけが天ぷらの全てではありません。天ぷらの大切なところはその衣の中にあります。同じように、宝飾の表面がいくら輝いていても、中身が同じように輝く本質がないと本物の宝石とは言えません。表面的な教育や高い知度を周りに見せれば、たまに「本物」で通用出来るかもしれませんが、それは仏様の信心にいただく本物の智慧と謙虚さとは比較になりません。

(http://digitalassets.lib.berkeley.edu/jarda/ucb/text/cubanc_35_1_00261330ta.txt)

 

75年が経った今でも、当時久間田先生が短く分かりやすく書かれたこの深く心に響くご法話に感心させられます。その当時の収容所では紙と印刷の材料は非常に貴重なものでしたので、各収容所に配布する法話を書く際は、無駄がないように一つ一つの言葉が丁寧に選ばなくてはなりませんでした。収容所で殆どの食事をカフェテリア式で食べていた日系の方々はこの法話を読んで、美味しい食べ物や楽しい家族との集まりを頭に思い浮かべたことでしょう。そして、法話の最後で親鸞聖人の教えの根本となる信心に触れることによってお念仏のありがたさが伝わったことでしょう。

私が今アメリカでお念仏を聞くことができるのも、松蔭総長と久間田先生の苦労と多大な努力のお陰と言えるでしょう。この二人の先生のご指導のお陰でBCAの教団は今も活発で、サンマテオ仏教会では毎週お念仏を喜ぶ仲間が集まり、共に仏様の大慈悲の心を仰ぐ事が出来ているのです。松蔭先生と久田間先生のご苦労を考えますと、手を合わせて、頭を下げて、「南無阿弥陀仏」を申すしかありません。

 

南無阿弥陀仏

 


“私にはこれで足りる”

先月、サンマテオ仏教会とパシフィカイスラム文化センターが協力してサンマテオ仏教会にて多宗教交流会とイフターディナーが開かれました。イスラム教徒はラマダンという一ヶ月の祝祭期の間に夜明けから太陽が沈むまで一日中食べ物も飲み物も一切取らない断食をします。そしてその日の断食が終わって食べる夕食の事をイフターと言います。交流会が始まると、まず皆んなで本堂に集まって、私がサンマテオ仏教会の歩みと仏教と浄土真宗の紹介をし、その後、重誓偈をお勤めして、参拝者のお焼香がありました。イスラム教徒の参加者は仏教勤行の体験をありがたく思って下さったようで、その中の数人はお焼香もしてくれました。

次にソーシャルホールに移動して、私の友人であるイマム(イスラム教の聖職者)イルマズ・バサク師がラマダンとイスラム教徒の断食について紹介しました。日没の時刻に合わせてイマム・イルマズ師が祈りの呼びかけをし、私が仏教の食前の言葉を言った後、それぞれテーブルに置いてあったドライフルーツとお水をいただきながら、美味しそうな地中海料理のブッフェの順番を待ちました。ブッフェを待っている間、同じテーブルに座っていたおじいさんが私に向かって、「貴方に贈り物をあげます」と言ってポケットからみかんを一つ取り出して私にくれました。そして「今日はみかん二つを持って来ましたが、私には一つで十分です。」と私に言いました。夜明けから何も食べてもおらず、飲んでもいなかったのにそのおじいさんは持っていた二つのみかんの半分を分けてくれました。その甘くてジューシーなみかんを口にして、「もし私が同じように夜明けから断食していたら、自分が持っていたたった二つのみかんを朝から二食とおやつも食べている人にあげられるだろうか?」と考えました。みかん一つだけを持って「私にはこれで足りる」と言えるでしょうか?私だったらその場合「この人は一日中食べたり飲んだりしているから、私の方がこのみかんを食べるべきだ」と思っていたでしょう。

そのみかんを味わいながら、私は大変尊い布施をいただいた事に気がつきました。「布施」は仏教の大切な功徳の一つであり、自己中心的でない清らかな心で人に物を施しめぐむことを示します。イマム・イルマズ師は、ラマダンの祝祭期に断食をすることによって、信者は日頃いただく恵みのありがたさをさらに感じる事が出来、また日頃十分な食べ物を食べられず苦しんでいる人たちへの関心も深める事が出来ると説明して下さいました。さらに、自分がいただく物に対しての感謝が深まると、施しの意志が高まるとおっしゃられました。このイスラム教のラマダンの行事との触れ合いのお陰で布施のことをより深く考えさせられました。布施は大乗仏教徒が日常生活の中で目指す六波羅蜜という六つの功徳の中の一番目に挙げられたもので、施しはイスラム教の五つの柱の中の一つです。イスラム教徒と仏教徒はそれぞれ特有の教義と伝統がありますが、お互いに友好と尊敬の心を持って触れ合うことが出来れば、自己中心的な生き方を乗り越えようとする人達は宗教が異なっても共通の価値観があるのだという事に気づく事が出来るでしょう。

 

南無阿弥陀仏


小ザメよ、仏様はあなたを愛している

子育てはとても挑戦しがいのある仕事です。自分の子供がやんちゃなことをしていると、親としては困りますが、周りの人はそのやんちゃなことする子供を見て笑いながら「お子さん元気ですねえ。」と言ってくれたりします。私の家族は三人の息子がいます。一番下はまだ赤ちゃんですが、そのうちにハイハイしだし、そして歩き始め、走ったり、話したり、動物の音まで真似したりするようになるでしょう。きっとそのうちに上の二人がまだ幼かった頃していたのと同じ様に、日曜日のお参りの最中に歩き回ったり、声を出したりする時が来るでしょう。ある日、一人のよくお参りに来られる方があまりお寺に来ない娘さんに話された言葉をふと耳にしました。「あなたはもっとお参りに来た方がいいよ。先生の息子がやんちゃなことするのを見るのは本当に面白いんだから。」そして、私が隣にいることに気づくと「それと、先生のご法話を聞くのもありがたい。」と急いで付け加ました。

数年前に上の息子の一人がまだ3歳前で落ち着きがない頃、花祭りの法要の真っ最中に綺麗に飾られた花御堂のテーブルの下に潜ってしまったことがありました。息子にとっては、自分を捕まえようとする妻から逃げるのは楽しい遊びで、花御堂のテーブルの左の方から入って、なんと反対側の花まつりのご法話をしていたゲストスピーカーの先生の目の前のところから出てきて、笑いながら妻の方を見ていました。さらに妻が息子を捕まえようとすると、息子はまた素早く花御堂のテーブルの下にもぐってしまいました。テールの下に愉快に座っている息子の姿は私が座っていたお内陣からはよく見えていました。

その日のゲストスピーカーは長年のご経験がある開教使の先生だったので、気にされる事なく堂々と話し続けられました。私が「誰も気づいていないといいなあ」と思いながら、外陣に座っているお参りの方を見ると、何人かの顔の表情でやっぱり気づいていることがすぐ分かりました。心配そうな顔をしている人もいれば、面白そうに見ている人もいました。私がどうしようと心配ながらお内陣に座っている間、妻はようやく息子を花御堂の下から引っ張り出して、もとの席に連れて行きました。この恥ずかしいエピソードは出来ればすぐ忘れてほしいと思っていましたが、最近あるご門徒さんが楽しくその年の花まつり出来事の思い出を話されたので、少なくともまだお一人はあの出来事をはっきり覚えておられるなあと思いました。そして、最後にそのご門徒さんは次のようにおっしゃいました。「仏教会は子供が子供らしく遊べるところで、本当にありがたく思っています。」

先月の花祭りの法要が終わった後、恒例のダーマスクールの出し物のプログラムがありました。プリスクールとキンダーのクラスが「Buddha Loves You」という懐かしい仏教讃歌をステージで歌ってくれました。その仏教讃歌の歌詞は可愛い小動物が次々と出て来るもので、皆な愛らしく、空を飛ぶ小鳥、鳴いている子猫、走り回る子犬、スイスイ泳ぐ小魚などの動きを表現しています。そして各節の最後は「小鳥よ、仏様はあなたを愛している(Buddha loves you little bird)」といった言葉で終わります。その歌に出る動物たちは皆おとなしくて可愛い動物たちです。

プリスクールとキンダーの子供達は皆それぞれ小鳥や子犬のコスチュームを着てステージに出ていて本当に可愛かったです。ただ小魚のコスチュームを最初に見た時、何かおかしいと思っていると、最後の節で子供達は次のように歌いました。「泳げ、泳げ、小ザメよ。小ザメよ、仏様はあなたを愛している。(Swim, swim, little shark, Buddha loves you little shark)」”と歌って、最後に可愛い小魚の小さな口の動きではなく、両手で小ザメが獲物に恐ろしく嚙みつこうとする様な大きな手の動きをしていました。私の息子はその小ザメ役の一人で、出し物が終わって、「小ザメは僕と友達が考えたよ。」と私のところに言いにきました。その子供の発想にも感心しましたが、その発想を肯定できる広い心を持ったダーマスクールの先生達に私はとても感謝しました。阿弥陀如来の大慈悲の心は可愛い小魚でさえ受け入れて下さいます。 ましてや凶暴な小ザメを受け入れてくださるのはいうまでもありません。

 

南無阿弥陀仏


怨みをすててこそ怨みが息む

2019年4月14日の9時半からサンマテオ仏教会で釈迦さまのご誕生を祝う灌仏会(花祭り)を行います。2,682年前、現在のネパールにあるルンビニーの花園に生まれた赤ん坊はシッダッタと名付けられ、後に悟りを開いて、釈迦牟尼仏(釈迦族の聖者)と呼ばれるようになりました。二千五百年以上経った今でも釈迦さまの真実のことばは心に響いてきます。ダンマパダ(法句経)にその一つが述べてあります。「実にこの世においては、怨みに報いるにうらみを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息(や)む。これは永遠の真理である。」(『ブッダの真理のことば・感興のことば』中村元訳 10頁)

花祭りでは、釈迦さまがお生まれになった日の様子を再現して銅像に甘茶をかけます。その銅像の右手が上を指し、左手が下を指している姿は釈迦さまが誕生されたすぐ後に七歩歩んで「天上天下、唯我独尊(唯(た)だ、我(われ)、独(ひとり)として尊(とうと)し)。」と言われた話に基づいています。この「唯(た)だ、我(われ)、独(ひとり)として尊(とうと)し」ということばの意味は自分の人生は他の人より尊いということではなく、幼いながら人間としての生まれの尊さを理解していたことを示しています。釈迦さまが人間としての生まれを大切にし、ひたすら悟りの道を求めて、そして悟りを開いた後は他の人々にその道をお伝えになられました。人間としての生まれは迷いと苦しみから解放できる貴重な機会であるという意味で尊いのです。釈迦さまのご誕生の話がその真理を表します。人生が中断されると解放の可能性が奪われてしまいます。釈迦さまは殺人者の悪人も仏の大慈悲に出会い、自分の行いを反省すれば、智慧の光に照らされている人生が開かれると説かれました。

怨みの暗やみにより大勢の命が奪われている現在の社会において、カリフォルニア州知事ギャビン・ニューサム氏が最近命じた死刑執行の一時停止は私に希望を与えました。2016年8月、北米開教区の開教使会は死刑の廃止を求める決議を承認しました。その決議を討論した際、一人の開教使が次のように言いました「身内の人が殺害された経験がない私は簡単に死刑への反対を表明できますが、もし自分の身内の人が殺害されたら、私の考えは変わるかも知れません。そういう風に考えてみると、愛している人が殺害された遺族の人に対して「あなたは死刑を求めるべきじゃない」とは言えません。この複雑な話題についての討論が続く中、様々な視点を認める開教使会に私も参加できて、ありがたく思いました。
討論の後半、一人の先輩開教使に次のことばをいただきました。「凡夫である私にとっては身内の人が殺害された故に死刑を求める人の気持ちはよく分かります。しかし、罪深い悪人の救いを願う阿弥陀如来の本願の心をいただく上でこの問題を考えて見ますと、死刑をされた人は仏様の智慧に出会い心を転回して、他の人を導く仏門を歩める可能性が奪われてしまうことになるので、死刑に反対します。」この言葉によって多くの開教使の考えがまとまり、決議の承認が出されました。

いかりとむさぼりとおろかさが多いこの世の中に現れて「怨みに報いるにうらみを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息(や)む」という永遠の真理を表した釈迦さまのご誕生を祝う花祭りは人間として生まれたことのありがたさをより深く味わえるご縁となる事でしょう。

 

南無阿弥陀仏


徹底した大いなる慈悲の心

先月の念仏セミナーで御講師シアトル別院元輪番カストロ・ドナルド先生が「エコサンガ-浄土真宗と環境保護」というテーマのもと、深く考えさせられるありがたいお話を聞かせて下さいました。地球温暖化によって、最近、ここ北カリフォルニアで頻繁に発生する大規模な山火事や、海に大量に浮かぶプラスチックのゴミなどの深刻な環境問題に対して、念仏者がどう答えるべきかについて、カストロ先生は詳しく述べられました。私はイーストベイに用事がある時など、なるべく車ではなく電車で行くようにしたり、コンビニなどでプラ袋をもらわないようにしたり、自分なりに日常生活の中で出来ることをしようとしていますが、これらの大規模な環境問題に対しては正直私一人の努力によってどれだけ改善しているのだろうという疑問を持つ時もあります。

希望が見えなくなるその時に仏法を仰ぐと、仏様の智慧の光が歩むべき道を照らしてくれている事に気がつきます。お念仏に生かされる人生の中で、大乗仏教の菩薩が起こして下さる下記の四弘誓願をありがたく思います。

一、衆生無辺請願度(一切の生きとし生けものすべてを、さとりの岸に渡そうと誓う)

二、煩悩無量請願断(一切の煩悩を断とうと誓う)

三、法門無尽請願学(仏の教えすべてを学び知ろうと誓う)

四、仏道無上請願成(この上ないさとりに至ろうと誓う)

(『仏教語大辞典』 中村元著 511ページ)

私は初めてこの四弘誓願に出会った時、非常に不思議に思いました。自分一人のことでさえなかなかさとりの岸に渡りつくことが出来そうにないのに、どうやってすべての生きとし生けるものを渡すことが出来るでしょうか?自分自身の煩悩一つでさえ抑えることに困難している私は、どうやって一切の煩悩を断てば良いのでしょうか?今まで二十年間自分なりに頑張って仏法を勉強してきたにもかかわらず、以前より何も理解していないような気がする私は、これからどうやってすべてを学び知ることが出来るのでしょうか?私自分の力によってこの上ないさとりに至るのは非常に難しいと思われます。

しかし、本願他力のお念仏の中で菩薩の道を歩む人生においては、自分の力で前に進むのではなく、仏様の智慧の光が歩む方向を照らして下さります。大乗菩薩の精神というは、仏様が説かれる真実の教えを信じ、諦めずに智慧の光が照らす道を歩み続けるということです。智慧の光が照らす道を歩めば、本願の不思議な働きによって、私自身が無上のさとりの岸に渡されるだけでなく、すべての生きとし生けるものを渡すことができるのです。

カストロ先生は講義の中で仏教徒の倫理は超自然的な神からの使命にも続くのではないということを明らかにされました。仏教の倫理とはすべての生きとし生けるものに対しての慈悲心に基づいているという理のことです。環境問題についての関心は山火事により住まいや命を失う人と動物さらに植物に対しての、そしてゴミの汚染により苦しめられる海の生き物に対しての哀れみの心によって起こってきます。環境問題に対する自分の無力を感じ落胆する時、『歎異抄』の第四章にある次の言葉に歩むべき道が照らされています。

慈悲について、 聖道門と浄土門とでは違いがあります。

聖道門の慈悲とは、 すべてのものをあわれみ、 いとおしみ、 はぐくむことですが、 しかし思いのままに救いとげることは、 きわめて難しいことです。

一方、 浄土門の慈悲とは、 念仏して速やかに仏となり、 その大いなる慈悲の心で、 思いのままにすべてのものを救うことをいうのです。

この世に生きている間は、 どれほどかわいそうだ、 気の毒だと思っても、 思いのままに救うことはできないのだから、 このような慈悲は完全なものではありません。 ですから、 ただ念仏することだけが本当に徹底した大いなる慈悲の心なのです。

このように聖人は仰せになりました。

(『浄土真宗聖典 歎異抄 現代語訳 9〜10頁』)

この教えの意味は自分一人ではこのような大きな環境問題を解決することが出来ないからと言って、人と生き物を助けようとすることに意味がないということではありません。確かに、私一人の力ではすべての生きとし生けるものの苦しみを取り除くことはできません。そこで、苦しむものが数え切れないほど多いからこそ、阿弥陀如来の智慧と慈悲が常にすべての生きとし生けるものをさとりに渡してくれるという本願が立てられました。その本願を信じる他力念仏の心とは、自然にお互いを敬い、助け合う人生を目指すものであります。

 

南無阿弥陀仏


徳眞

お陰様で三男アダムス一宮 徳眞(とくま) 文殊(もんじゅ)がカイザー・パーマネンテのレッドウッドシティ・メディカル・センターにて元気に生まれました。出産から退院までの間、妻の祥子と徳眞がカイザーの医師、看護師、その他病院のスタッフの方々に素晴らしいケアをしていただき深く感謝しております。

息子の名前が「とくま」だということを話すと、その名前に何かの特別な意味がありますかとよく尋ねられます。徳眞の「徳」という字はお念仏にいただく仏様のすぐれた功徳を示し、『仏説無量寿経』の「讃仏偈」にある次の言葉からいただきました。

 

戒聞精進(かいもんしょうじん)  三昧智慧(さんまいちえ)  威徳無侶(いとくむりょ)  殊勝希有(しゅしょうけう)

深諦善念(じんたいぜんねん)  諸仏法海(しょぶつほうかい)  窮深尽奥(ぐじんじんのう)  究其涯底(くごがいたい) 

 

〔み仏の〕行いと学習と努力と
心の平静と智慧(ちえ)も
すぐれたること比べものがなく
まことに立派であり稀有(けう)であります。

 

深く諦(あき)らかに、善(よ)く
海のように広大な諸仏の教えを念(おも)い
その深い奥底を窮(きわ)め、
その涯(はて)をも見究(みきわ)めておられます。

 

(http://shinshu-hondana.net/knowledge/show.php?file_name=sannbutsuge)

 

「眞」と言う字は「まこと」の意味で、仏様の教えが表す智慧と慈悲の真実を示します。

ミドルネームの「文殊」は、三人目の子供が生まれることが分かった時、妻がお母さんからよく聞いた「三人寄れば文殊の知恵」という言葉が思い浮かんだ事から名付けました。このことわざの意味は、「凡人であっても三人集まって考えれば、よい知恵が出るものだ」というものです。文殊菩薩は智慧の優れた菩薩であり、『仏説阿弥陀経』にも現されています。これからサンマテオ仏教会のご門徒の皆様にも見守られながら、息子三人がよく協力し、お互いに敬い助け合う兄弟になってくれればと願うばかりです。

 

南無阿弥陀仏


新年へ一躍

新年おめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。日本の数え年の歳の数え方では元旦の日に皆一緒に一つ歳をとる事になります。このように、お正月は皆の誕生会とされていたように昔ながらおめでたい日で、子ども達は家族や親戚からお年玉をもらいます。私は自分が親になって、子どもとの関わりを通して子どもの時の純粋な心を再発見したことがあります。その純粋な心を味わうためには、自分が「成長した大人」という考えは忘れて、子どもの視点で一緒に色々な遊びに参加する事が大切だと気付いたのです。

この間、息子を誕生日会に連れていった時、私は息子に手を引っ張られて無理やりバウンスハウスの中に一緒に入りました。バウンスハウスというのは空気が入っているナイロンのクッションやパネルでできている大きな部屋で、誕生日会の時によく前庭やドライブウェイに設置されます。バウンスハウスの中では、上に高く飛ぶことも出来るし、転んでも痛くありません。

バウンスハウスの中に入って、しばらく息子と一緒に飛び回っていると、流石に疲れて、私はその場でクッションの上に座って休憩をしていました。一旦座り込むと面白いことに気が付きました。誰かが飛び上るとその反動で座っている私は下に沈んだり、飛び上がった人が降りてくると反対に押し上げられたりしました。この時、一人が動くと皆の動きに影響することに気が付いたのです。そして、子どもが次々に入ってきて、どんどん盛り上がると私は誰の動きに自分が動かされているのか分からなくなりました。とにかく、数限りないほど多くの動きの影響を受けながら私は動かされていました。

バウンスハウスの中で起こる人と人との動きの関係性のように、私たちは日頃、自分たちの言葉や感情によって人を動かしたり、人に動かされたりすることがあります。言葉や感情による動きや働きは時々気が付き難かったりしますが、時に一生涯に影響を与えることがあります。例えば、学校の先生が自分が知らなかった新たな分野を紹介してくれたお陰で人生の歩んでいく方向が変わったことはありませんか?または、人生の中で困難に遭遇した際、親戚や友人が支えてくれたお陰で、どうにか前向きになれたことはありませんか?このような人生の中での大切な人との出会いの事をご縁といい、極楽への歩みへと導いてくれる不思議な動きを私たちに与えてくれるのです。

親鸞聖人いわく、「つくべき縁があれば一緒になり、離れるべき縁あれば離れていく」(浄土真宗聖典 歎異抄 現代語訳 12頁)。大切な人との出会いへと導いてくれるご縁は不思議な動きであり計り知れないものです。いつか別れる事になるご縁の動きも不思議で計り知れないものであります。然し、南無阿弥陀仏の中に生かされる人生では、沈む時も押しあげられる時も如来の真実の光明が歩むべき道を照らしてくれます。新年もこのご縁の不思議な動きの中で皆様と一緒に楽しく過ごしたいと思っております。

念仏の詩人一茶が1819年に幼い娘に読まれた言葉とともに新年を迎えたいと思います。

こぞの五月生れたる娘に一人前の雜煮膳を居へて

 

這へ笑へ二ツになるぞけさからは

(『おらが春』)

 

南無阿弥陀仏


金剛心

12月2日(日曜日)午前9時半からサンマテオ仏教会にて釈迦牟尼如来が35歳の時に菩提樹の下で悟りを開いたことを祝う成道会をお勤めします。お釈迦様は生涯の残り45年を、悟りの真実を示す仏法を説くことに捧げられました。そのうちサンガ(僧)・門弟が増え、庶民から国王まで多くの人々がお釈迦様に帰依しました。

お釈迦様の従兄弟のデーヴァダッタもサンガに入っていましたが、お釈迦様を羨やみ、自分自身の門弟を欲すようになりました。デーヴァダッタはより厳しい修行を進め、お釈迦様の門弟を分裂させ何百人をも引き連れて、自分の門弟にしてしまいました。その頃、ある日お釈迦様が森に静かに座っておられたところを、一人の男がお釈迦様を暗殺目的で襲おうとしました。しかし、男はお釈迦様が座られているところに近づくとその穏やかな姿に感動させられ、自身の後悔を白状し、お釈迦様に頭を下げました。お釈迦様は落ち着いて話を聞いておられましたが、攻めに来た男は報復を恐れ、誰に雇われたのかを言いたくありませんでした。お釈迦様はその男に帰りは別の道を使い、母親と共に避難するように導かれました。

その後、仏弟子の舎利弗と目連は、デーヴァダッタに連れられ引き離されていた門弟たちの下を訪ねました。デーヴァダッタはお釈迦様の偉大な仏弟子が自分の門弟に入るものと思い込み、喜んで舎利弗と目連を歓迎しました。舎利弗はその門弟たちといる間に素晴らしい説法を説き、そこにいる修行僧たちはそれをありがたく聴聞しました。説法を終えると、舎利弗は「今までに出会った誠の教えを説かれている師匠は釈迦牟尼如来の他にはいません。」と言い残し帰っていきました。それを聞いた数百人の修行僧たちはようやくデーヴァダッタに騙されたことに気がつき、舎利弗と目連と共にお釈迦様の下に門弟として戻りました。

デーヴァダッタはこの事にひどく腹を立て、恐ろしい出来事が相次いで起こりました。ある日、お釈迦様が歩かれていた道に大きな岩が坂を転がり落ちてきて、お釈迦様の足を怪我させました。お釈迦様の門弟はさすがに慌てていましたが、お釈迦様は落ち着いておられ、足の治療のために先ず有名な医師耆婆大臣を呼ぶようにおっしゃられました。

しばらく経った後、お釈迦様の足がある程度治ると、お釈迦様は門弟と共に托鉢に街に出掛けられました。街の中心に入ると、怒った象がお釈迦様の方に向かって走ってきました。周りの人々は急いで逃げましたが、お釈迦様は自分のいた場所にそのまま立っておられ、仏弟子の阿難も逃げずにその場に一緒に立っていました。象はお釈迦様の穏やかな姿を見た瞬間静かになり、お釈迦様の足元で膝と頭を地面につけました。お釈迦様が象の鼻を撫でられると、象の怒りは消えていきました。

これらお釈迦様の生涯の話を耳にしますと、仏様の悟りはお釈迦様の日頃の姿に表れ、周りの怒りと悪意を治めてくれます。この話の中で私にとって特に印象に残ったのは、象が攻めて来た時、阿難が落ち着いて逃げなかったことです。仏様はすでに悟りを開かれていたため全ての恐怖から解放されておられましたが、阿難はお釈迦様の入滅までは悟りを開いていませんでした。この時、阿難はまだ煩悩と恐怖から解放されていませんでしたが、釈迦牟尼如来を信じ一緒にいれば何があっても安穏でいることが出来ました。

お釈迦様は自分の入滅後に生まれる人々が仏様に直接出会われる機会がないことを哀れんで、浄土三部経を説かれました。何か恐ろしい出来ことが起こった時、釈迦牟尼如来のそばに行くことができない私たちにも南無阿弥陀仏のお名号が届き、お念仏を聞き阿弥陀如来を信じることによって、穏やかな金剛の心をいただくことが出来ます。親鸞聖人はお念仏の人について次のように述べておられます。「釈迦・諸仏の弟子なり、金剛心の行人なり。この信行によりてかならず大涅槃を超証すべきがゆゑに、信の仏弟子といふ。」(『浄土真宗聖典 註釈版 256〜257頁』)


多くの命のおかげ

11月に入りますと、いよいよホリデーシーズンが近づいてきました。 今月末にあるサンクスギビング(感謝祭)から始まり、年が明けるまで家族や友人が集まりご馳走をいただきながら楽しい時間を過ごす機会が続きます。

精進料理だけを食べる修行僧以外の世界の多くの仏教徒は肉や魚も食べます。サンマテオ仏教会が所属されている宗派浄土真宗は御開山親鸞聖人の時代から在家仏教の教団であり、僧侶が結婚をしお寺で家庭生活をする事は浄土真宗においては通常です。親鸞聖人は社会のあらゆる階級の同朋と共にお念仏の道を歩み、同じ在家生活をされました。修行僧のように精進料理だけを食べるご門徒さんが浄土真宗の教団の中であまり見ないと言うことは、在家仏教である様子の一つと言えるでしょう。

然し、日々精進料理だけを食べて暮らしていないからと言って、平気に生き物を殺していいと言うわけではありません。私が生きているということは多くの命のおかげだということに気づかされます。お肉や魚を食べるということはその動物や海の生き物の命をいただくということです。私は今までに数え切れない程たくさんの命をいただいてきました。そのため、私の命の中に多くの命が入っており、私の命は尊いものと言えます。

人間が生き物 の命をいただくのは動物を食べることからだけではなく、ひと昔前までは私たちが食べる果物や野菜を作る畑も牛やラバなど動物の力によって耕されていました。現代では馬や馬車に乗って移動することは少ないですが、私は時々、車を運転中に道路を渡ろうとして車に引かれて命を失った動物を見ると悔やみの気持ちが起きて頭を下げてしまいます。しかも、私たちが病気の時に飲む薬や身内の人たちが受けて命が救われた治療法は全て、まず動物で試験されてから人間に使われるようになっているのです。

これらの現実を考えると、私たちが今日まで生きてこれたのは多くの命のおかげだということに気が付きます。我が身をかえりみながら、『歎異抄』にある次の言葉が心に響いてきます。

この世に生きている間は、どれほどかわいそうだ、気の毒だと思っても、思いのままに救うことはできないのだから、このような慈悲は完全なものではありません。ですから、ただ念仏することだけが本当に徹底した大いなる慈悲の心なのです。

(『浄土真宗聖典 歎異抄 現代語訳』10頁)

この人間生活の中で、他の命を救うよりも多くの命をいただいて生きている私たちは、「南無阿弥陀仏」のお念仏により如来の大慈悲の心をいただきます。本願寺の食前の言葉が表す「多くのいのちと、みなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。深くご恩を喜び、ありがたくいただきます。」という心で今月の感謝祭を迎えたいと思います。

 

南無阿弥陀仏


み仏のみこゑかのごと

 

サンマテオ仏教会では10月に親鸞聖人の奥様恵信尼さまと末娘覚信尼さまを始め、代々お念仏の喜びを伝灯してきて下さった仏教婦人の方々をお偲びし、今月のダーマスクールの法話では甲斐和里子や金子みすゞ、20世紀にお念仏を喜ばれた女性の詩人をご紹介する予定です。

1952年から1955年までサンマテオ仏教会に赴任されていた開教使田名大正師の奥様、田名ともゑ夫人は長年アメリカにて短歌でご活躍され、お念仏の喜びを表す短歌を沢山残して下さいました。ともゑ夫人は1913年北海道の寺族にお生まれになり、1937年に大正先生とご結婚された後、1938年に渡米されました。最初はバークレーに住んでおられ、その後はロンポックで暮らされていました。

太平洋戦争が始まると、1942年3月に大正先生は逮捕され、戦争が終わるまでニューメキシコ州のサンタフェーとローズバーグにあった戦時敵国人抑留所に収容されていました。ともゑさんは長男ヤスト氏と次男シブン氏と共にアリゾナ州のヒラ日系人強制収容所に収容されました。その時はともゑ夫人は第三子を妊娠されており、三男チニン氏は収容所で生まれました。四男アキラ氏は戦争が終わった後に生まれました。サンタフェーの戦時敵国人抑留所から自分の家族がいる収容所に移動し、家族と再会できた開教使もいましたが、大正先生は結核で入院したことが何回もあり、なかなかご夫人と家族が待つヒラに移動することが出来ませんでした。ともゑ夫人は戦争が終わるまで一人で三人の子供を育てられました。大正先生がようやく戦時敵国人抑留所から解放された時、一家が強制的に離された時間の方がその前の一緒に暮らしてきた時間よりも長かったそうです。

ともゑ夫人は短歌の名人で、収容所の経験を描いた心に響く短歌も多く読まれました。夫人はその短歌を大正先生宛の手紙に書かれ、大正先生はそれをずっと書き続けられていた日記に下記のように写されました。

 

みほとけにと手折りし花を少女らは我に給ひぬうれしく供ふ

 

シエルの嶺ゆ吹き来る風の冷たさに真夜ともなればかけ衣をます

 

法語つづくひまひまにきくこほろぎの音もみ仏のみこゑかのごと

 

我がもちし聖典ひらき人びとの声を合はして誦経をするかも

 

雨くると空の雲ゆきすぐ変わる常なき人の世のさまに似て

(以上は『サンタフェー・ローズバーグ戦時敵国人抑留所日記』第一巻 194)

 

母恋ふる病む児を憶ひ針もてる手もすすまざる汗も拭(ふ)かざる

 

うるむ瞳(め)を日記に走らせいきつかずよみ終りたり汗もわすれて

 

さまよへる我を導くなつかしき夫の筆あとくり返し読む

 

夫の手の我が面(も)に触るるとして醒めし目に入るものか星のまたたき

 

めしか歌ふ調べに小さき子は覚むると見えず共に歌ひぬ

(以上は『サンタフェー・ローズバーグ戦時敵国人抑留所日記』第一巻 250)

 

ともゑ夫人とご家族は戦時中アメリカで辛い経験をされてきたにも関わらず、この国と国民に対しての恨みの気持ちは持っておらず、むしろアメリカの国に多くの人が短歌の美しさに出会えるように努力されました。夫人がお念仏に生かされていた広いお心が1951年に読まれた次の短歌に表されています。

 

アメリカの国歌うたいて育つ子に従い行かん母我の道

(『在米同房百人一首』1951年出版)

 

南無阿弥陀仏