感謝の表明

11月は感謝を表す特別な機会がたくさんあります。サンマテオ仏教会では、11月17日(日曜日)に仏教会が仏法を聴聞でき、お念仏を喜ぶ道場として永遠に続くようにとの願いを持って、これまで力を尽くしてきて下さった代々のご門徒さまを偲ぶ永代経法要が行われます。11月24日(日曜日)には7歳、5歳、3歳の子供の元気で幸せな成長を支えるご縁を感謝する七五三法要が行われます。そして、11月28日(木曜日)は多くの家族や友人らが集まる、アメリカのとてもありがたい祝日である感謝祭(サンクスギビング)を祝います。

このように11月は感謝の心を再発見する特別な行事がたくさんありますが、お念仏に生かされている私たちはご恩報謝に日頃からつとめることによって、大きな安らぎと喜びをいただく事が出来ます。簡単な例えで言えば、日々の生活の中での感謝を表す姿の一つは、食事の前に手を合わせて「いただきます」を言うこと、そして食事の後にもまた手を合わせて「ごちそうさまでした」を言うことです。食前の合掌は浄土真宗の歴史の中に根深い伝統があります。私は最近、田名大正先生が第二次世界大戦時にニューメキシコ州にある戦時敵国人抑留所で書かれたサンデースクールの法話の編集記『佛子生活編』に食前の合掌についての次の説明を見つけました。これは約75年前に書かれた物ですが、私たちが今日生かされている人生に深い意味を持っていると思いましたので、皆様にご紹介したいと思います。

問 私達が食前合掌するのは、誰が始めたのですか。

答 本願寺の第八世門主である蓮如さま(1415〜1499)が、「私は、佛さまや、先祖の親鸞聖人のおかげで、着たり食べたり、させていただきます」(蓮如上人御一代記聞書一六九)といって、合掌なさったのが、私達仏の子供の食前合掌のお手本です。

 問 すると食前合掌は「佛さまが食物をくださるのだ」と、感謝するのではないのですか。

答 佛教では、他の宗教で「神が人間の食物として、他の動物や植物などの全てを造った」と説くのと同じ考え方で、「佛さまが魚鳥の肉をも、私達のために、ととのえてくださった」とは説きません。それで食前合掌も、佛さまにむかって「佛さま、今日のターキーデナー・サンキュー」と、いうような意味は教えません。

問 佛教徒の食前合掌の意味を教えてください。

答 それは「衆生恩」の感謝です。佛教では、私達が今日一日を、無事に生きていくだけでも、世の中の各方面からの、いろいろな援助が、与えられていると、気付くことを教えています。たとえば、一度の食卓にならべられたものにしても、第一に料理をしてくださった人は誰か。それを店から買うために働いた人は誰か。このように数えていって、最後には、その食物それぞれがもっている生命を、私の生命を保つために、失っていることに思い及ばすとき、それらのすべてに対して「おかげさまで、ありがたくいただきます」との感謝を、念佛をとおして表明するのです。それはやがて、自分もまた、他のためになる生活をする、という報謝となって、六波羅蜜の布施行が、芽ぐむのです。

(『佛子生活編』23〜24頁)

現在、浄土真宗の本山である西本願寺から私たちが日頃の生活の中で使えるようにと次の「食事の言葉」が薦められています。この言葉に蓮如上人のご恩報謝の心が現代を生きる私たちの心にも響いてくると思います。

(食前のことば) 🙏

⚫多くのいのちと、みなさまのおかげにより、

このごちそうをめぐまれました。

同音深くご恩をよろこび、ありがたく いただきます。

(食後のことば) 🙏

⚫とおといおめぐみをおいしくいただき、

ますますご恩報謝につとめます。

同音おかげで、ごちそうさまでした。

今月、ターキーデナーであっても豆腐サラダであっても、特別なご馳走を頂く際には、手を合わせご恩を喜びなから、お念仏をとおして感謝の心を表しましょう。

 

南無阿弥陀仏

弥陀の法水を流せ

先月サンフランシスコで開催された世界仏教婦人会大会の運営にご協力いただいたサンマテオ仏教会の御門徒の皆さんにまずお礼を申し上げます。サンマテオ仏教会のメンバーの方々がレジストレーションを始め、通訳、翻訳、マーケットプレイス市場など全般的な企画と運営に加え、様々な分野で大活躍して下さったことに、心より感謝しております。今回の大会は十年も前から準備が始まっていて、多くの方々が沢山の時間と努力と財産をお布施してくださったお陰で、本当に尊い集いができたと思っています。日本、ハワイ、カナダ、南米、北米開教区(BCA)から御門徒と僧侶合わせて約1,700名の方が今回の大会に参加しました。

大会中、京都から参加されていた僧侶とBCAの開教使が昼食を一緒にする機会があり、私はこの場での通訳をするご縁をいただきました。会話の中で、「往生」の意味について話になり、お浄土に往生するということは死んだ後に往生するのか、今生きているこの人生の中においても往生できるのかという疑問が挙がりました。京都から来た一人の先生は親鸞聖人の書籍をいくつか挙げ、阿弥陀如来の本願を信じる人は、この人生が終わった時に、阿弥陀如来の浄土にすると示されました。

その際、BCAの開教使の一人が次のように言いました「北米開教区の開教使にとって、これは非常に興味深い話題です。最近、アメリカの仏教会に新しく入って来る人たちは現世の人生をどう生きるべきかについて尋ねることが多く、後世のことはほとんど関心を持っていないようです。」そして、「今、浄土真宗の教えを伝えようとしている私たちは、仏法を求めるために仏教会に入ってくる人たちの興味と関心に合った伝道をするべきではないでしょうか?」と言いました。

その問いに対して「確かに仏教会に入ってくる人々が持っている問いに答えるのは大事だと思います。しかし、これまで代々伝わってきた伝統的な教えを正確に取り次ぐことも大切です。」と、京都から来られた先生の一人が答えられました。

「伝統的な教えはともかくとして、あなた自身は個人的に往生をどのように理解していますか?」とBCAの開教使はさらに尋ねました。

「私の個人的な理解を述べるつもりはありません。私は僧侶として、親鸞聖人の書籍にいただく教えを正しく伝えることができたら嬉しいと思っています。」と京都の先生は言われました。

「開教使として、仏法がこの世界に生きている私たちにとって何の意味を持っているのかについて私の個人的な理解を述べる必要があると思います。」とBCAの開教使は続けました。

これを聞いて、京都から来られていたもう一人の先生が次のように言われました。「日本では伝統を守りたい人が多いのです。特に浄土真宗の教団においてそれは江戸時代(1603〜1867)から続いているのです。」

「それは400年前の話でしょう。今現在ではどうすればいいのでしょうか?」とBCAの開教使はさらに尋ねました。

「日本では今までに伝わって来た教えをそのまま伝えたいという人が多いのです。そして、前に立って新しい方向に行こう!と進めたい人は少ないのです。」ともう一人の京都の先生が言われました。

「それはよどみだと思います。例えば、水は動きがないと臭くなるでしょう。」とBCAの開教使は言いました。

BCAの開教使の考えを認めながら、京都の先生は次のように言われました。「親鸞聖人の教えはそれを聞く人それぞれの文化背景に応じて伝えた方が良いので、日本の浄土真宗とアメリカの浄土真宗は違ってもいいと思います。」

この会話はそのまましばらく続き、最後にデザートとコーヒーが来てもこの話は綺麗にまとめられませんでした。私はこの活発な会話を聞きながら、念仏者の間にこのような率直な話し合いが代々続いているおかげで親鸞聖人の教えが私たちが今生きているこの時代にまで伝わって来ているのだと思いました。蓮如上人は15世紀に次のように述べておられます。「細々(さいさい)に信心(しんじん)の溝(みぞ)をさらへて、 弥(みだ)陀の法(ほう)水(すい)を流(なが)せといへることありげに候(そうろ)ふ。」(『御文章』2−1)

 

南無阿弥陀仏

「己の行く所はどこじゃ」

浄土真宗では、日本の江戸から明治時代を生きた妙好人という信心深くありがたい人々がおられ、尊敬されてきました。その妙好人の一人に庄松(しょうま)という男がいました。庄松(1799〜1871)は四国の讃岐で使用農夫として雇われたり、草履を編んだりして、素朴な生活を送って暮らしていました。庄松は近くのお寺の勝覚寺の住職によく可愛いがられ、よくお参りに行っていました。勝覚寺は京都の本山興正寺(当時本願寺派に所属された)の末寺でした。

庄松は初めて京都の本山、興正寺にお参りした時に、五、六人の同行に連れられ参拝し、おかみそり(帰敬式)を受けました。梯實圓先生はおかみそりを次のように説明されています。「帰敬式というのは仏前で「南無帰依仏・南無帰依法・南無帰依僧」と唱え、「今日からわたしは仏陀(ほとけ)を心の依りどころとして生き、仏陀の説かれたみ教え(法)を人生の指針と仰ぎ、仏陀のみ教えを実践するなごやかな集い(僧)を心の支えとして生きていきます」と誓う、仏弟子となるための入門の儀式のことです。そのときにご門主が一人ひとりの頭に三度カミソリをあてて、剃髪の儀礼をされることからこれを「おかみそり」と呼ぶのです。」(『妙好人のことば』より)

ご門主が順番に移動しながら、庄松のおかみそりを済ませた後、次の者に移ろうとした時、庄松はご門主の法衣の袖を引き止め「アニキ覚悟はよいか」と申しました。

ようやくおかみそりの儀礼が全部済むと、ご門主は「今我の法衣を引っ張った同行をここに呼べ」とおとりつぎの僧侶に命じました。そのおとりつぎの僧侶はたくさん集まっている同行の中に出て、「今ご門主の法衣を引っ張った同行はどこにいるか?ご門主の前に出よ。」と言いました。それを聞いて、当の庄松は平気な顔をしていましたが、まわりの同行らはびっくり驚いて、「ああ、すみませんでした。大変無礼なことをしてしまいました。こんなことがあると知っていたらこの者を連れて来なければよかった。こんな者をここに置いて帰ることも出来ないので、我々よりお許しお願いいたします。この者は馬鹿でお金を数える事さえ知りません。この者のご無礼をどうかお慈悲でお許し願います。」と言いました。

おとりつぎの僧侶は「そうですか。」と言って、ご門主のところに戻り、同行たちに言われたことを伝えますと、ご門主は「それはどうでもよい。一度その者をここへ連れて来い。」と命じました。同行はしかたなく庄松をご門主の前へ連れて来ました。庄松は礼儀作法も知らないため、ぺったりとあぐらをかいて座りこみました。

その時ご門主は「さっき私の法衣の袖を引っ張ったのはおまえであったか?」と尋ねました。

「ヘエ、おれであった。」

「何と思う心から引っ張ったか。」

「ご門主が今着ているような赤い衣を着ていても、赤い衣で地獄を逃れることは出来ないので、後生の覚悟はあるのだろうかと思って言った。」

「そう、その心を聞きたいがためにおまえを呼んだのだ。私を敬ってくれる者は沢山いるが、私の後生について意見をしてくれた者はおまえ一人じゃ。よく意見をしてくれた、ところでおまえは信心をいただいたか?」

「ヘエ、いただきました。」

「ではどうのような信心を得たのか一言申せ。」

「なんともない。」

「それで後生の覚悟はよいのか。」

「それは阿弥陀さまに聞いたら早く分かる。我の仕事じゃない。我に聞いても分かるものか。」

ご門主は庄松の答えを聞き、非常にご満足なされ「阿弥陀様に頼む、それより他はない。自分の能力に頼んではならない。お前は正直な男じゃ。今日は兄弟の酒を注ぐぞ。」と言って、召使のものを呼び、酒を取り寄せご門主のお酌でご馳走しました。

それからも庄松はご門主に度々会うこととなりましたが、この世のことをよく忘れることがあったので、ご門主はその訳を書いて庄松の腰にくくりつけて讃岐に帰らせました。その後も庄松は京都に行く度に、毎回「己(おれ)の行く所はどこじゃ、どこじゃ。」と呼んだので、それを見つけた者が直ぐに庄松をご門主の前まで案内してくれたということです。

サンマテオ仏教会では2019年9月22日(日曜日)に秋のお彼岸法要を行います。お彼岸は今自分が歩んでいる人生の方向を再確認し、仏法を聞きながら日頃の生き方をかえりみるのに丁度よい季節です。庄松のようにこの世のことを迷わせず、真であるものに気づかせてくれる同行に出会うことがあれば、そのご縁を大切にして、共にお念仏を喜び合う人生を歩むとしましょう。

 

南無阿弥陀仏

 

智慧の灯

私は寝る時必ず廊下の省エネライトをつけて、寝室の部屋のドアを少しだけ開けたままにしておきます。私は中学生になると、いつの間にか幼い頃から使っていたスヌーピーの常夜灯を使わなくなり、なるべく部屋を暗くして寝るようになりました。それ以来、少しでも光が部屋に入ると、なかなか眠れなかった私ですが、十年程前からその習慣にまた変化がありました。それは開教使として初めて赴任したオックスナード仏教会の開教使住宅で、妻とカリフォルニアでの生活を始めた頃でした。その前は日本の京都で暮らしていて、その時はアパートに二人で住んでいたので、オックスナードの広い一戸建ての家での暮らしはとても新鮮でした。なぜなら、京都のアパートの全体の広さはオックスナードの家のキッチンとバスルームを合わせた広さと同じぐらいのものだったからです。

オックスナードに住み始めた頃、子供はまだ生まれていなかったので、私は毎晩朝までぐっすり熟睡出来ていました。小さい子供がいる家庭の親が夜中子供が泣いたりするとすぐに気づく耳はその時の私にはまだありませんでした。ある晩、夜中に爆睡していると、耳が破れそうになるほどの高い音のアラームが部屋を出たところの廊下で急になり出しました。私はその音に驚いて、ベッドから飛び降りてドアの方に向かって何の音かを調べに走りました。真っ暗な部屋の中で焦って走ったので、ドアがベッドからどのくらい離れているかの距離感も部屋の中の家具などの配置も全く分からず、走りながらドアの横の壁に顔をひどくぶつけてしまいました。そして後ろによろめきながらも手探りで何とか電気のスイッチを見つけることが出来ました。電気をつけてドアを開けると、煙警報器から音が出ていたことが分かり、そして電池を換える時を知らせる点滅がついていました。それで椅子に登って、電池を取り出すとようやく音が消えました。それからキッチンに行って氷をタオルに包んでベッドに戻り、顔を冷やしながらいつの間にかまた眠っていたのを覚えています。

今の時代はスイッチ一つを押せば、瞬間的に廊下が明るくなりますが、大昔の人々は提灯(ちょうちん)などの灯を使って暗い所へ光を運んで暮らしていました。仏様の教えはよく心の無明を追い払う智慧の灯と例えられます。日本の仏教徒はお盆の時期に提灯を飾る習慣があります。そのいわれはお盆の三日間の間に生死に流転しているご先祖様が家に戻られ、家族と共に過ごせるようにと提灯を吊るして家への道を照らすためという説があります。

その一方、親鸞聖人が説かれる他力念仏の教えにおいては、阿弥陀如来に帰依する人はこの世の命が終わると、速やかに極楽に往生し生死の迷いから解放されると言われています。極楽に往生されたご先祖様は既に生死から解放されているので、お盆にサンマテオ仏教会で飾る提灯はご先祖様の歩むべき道を照らすものではありません。むしろ、無明でよく迷っている私たちこそ正しい道を照らす光を仰ぐ必要があります。迷いの暗闇の中でいつも走り回っている私は怒りとむさぼりと愚かさの壁によくぶつかります。私の心が転じて仏法の光を仰いでいなければ、いつまでも煩悩によって苦しむことでしょう。『浄土和讃』にて親鸞聖人は次のように述べられています。

 

智慧(ちえ)の光(こう)明(みょう)はかりなし

有(う)量(りょう)の諸相(しょそう)ことごとく

光(こう)暁(きょう)かぶらぬものはなし

真実(しんじつ)明(みょう)に帰(き)命(みょう)せよ

 

阿弥陀仏の智慧の光明は限りがない。

迷いの世界のもので、

その光に照らされないものはない。

真実の智慧の光である真実明に帰命するがよい。

 

今年のお盆では提灯を飾る際に、苦しみから解放への道を照らす智慧の光を仰ぎ、既に往生を遂げられた方々を想い、感謝のお念仏を申しましょう。その方々をお偲びすることによって、一年を通してご先祖様が日々私たちを導いてくださっていることに気づくことが出来るでしょう。

 

南無阿弥陀仏

本物

今年も七月の第一日曜日(七月七日)九時半からのお参りにて北米開教区の歴代開教総長追悼を行います。北米開教区の歴代開教総長たちはそれぞれの時代の事情と課題に応じて勇気を持って教団を指導され、北米にお念仏を広めるため各仏教会に配属された開教使らとその御門徒に多くの力を与えて下さいました。 北米の浄土真宗教団の歴史の中でも第二次世界大戦中の日系人収容は大変苦難なものでした。大日本帝国海軍が1941年12月7日にハワイの真珠湾を攻撃した後、日本との関係が親しくリーダーが主に一世の日本人移民であった当時の北米開教区はアメリカ社会に疑われたり、敵対されたりしました。

西海岸に住んでいた大勢の日系人たちが強制移動を命じられ、内陸のわびしい土地に慌てて作られたキャンプに収容された後、ユタ州のソールトレークシティーにて緊急北米開教区会議が開かれました。そこで、カリフォルニア州にBuddhist Churches of America (BCA)という新たな宗教法人を登録する事によって、それまでのBuddhist Mission of North Americaと識別する方針が決められました。BCAの理事会はアメリカ生まれの二世によって構成され、教団の公式言語は英語に定められました。 そして、二世開教使の久間田顕了先生が松蔭了諦開教総長の支持を得て、理事会長に任命されました。

久間田先生は松蔭総長のもと、主に英語を話す若い二世のための開教活動を担当されました。そして、特に戦争が始まったばかりの危うい状況の時に、教区の英語の代表者として積極的に務められました。その頃、久間田先生が書かれた便りと法話は各収容所によく普及され、厳しい現実に向き合わされていた日系の念仏者に多くの安心と導きを与えました。

私は最近、アーカンソー州にあったジェローム戦争移住センターの1943年10月3日号会報Denson YBA Bulletinにあった久間田先生が書かれた次の法話を読みました。

隠れた徳性

天ぷらが美味しいと思う人は多いでしょう。天ぷらを食べているとき、たまに衣の中は何の食べ物が入っているのかと予想して、それが当たるかどうか確認しながら食べるのはとても楽しいことです。しかし、衣だけが天ぷらの全てではありません。天ぷらの大切なところはその衣の中にあります。同じように、宝飾の表面がいくら輝いていても、中身が同じように輝く本質がないと本物の宝石とは言えません。表面的な教育や高い知度を周りに見せれば、たまに「本物」で通用出来るかもしれませんが、それは仏様の信心にいただく本物の智慧と謙虚さとは比較になりません。

(http://digitalassets.lib.berkeley.edu/jarda/ucb/text/cubanc_35_1_00261330ta.txt)

 

75年が経った今でも、当時久間田先生が短く分かりやすく書かれたこの深く心に響くご法話に感心させられます。その当時の収容所では紙と印刷の材料は非常に貴重なものでしたので、各収容所に配布する法話を書く際は、無駄がないように一つ一つの言葉が丁寧に選ばなくてはなりませんでした。収容所で殆どの食事をカフェテリア式で食べていた日系の方々はこの法話を読んで、美味しい食べ物や楽しい家族との集まりを頭に思い浮かべたことでしょう。そして、法話の最後で親鸞聖人の教えの根本となる信心に触れることによってお念仏のありがたさが伝わったことでしょう。

私が今アメリカでお念仏を聞くことができるのも、松蔭総長と久間田先生の苦労と多大な努力のお陰と言えるでしょう。この二人の先生のご指導のお陰でBCAの教団は今も活発で、サンマテオ仏教会では毎週お念仏を喜ぶ仲間が集まり、共に仏様の大慈悲の心を仰ぐ事が出来ているのです。松蔭先生と久田間先生のご苦労を考えますと、手を合わせて、頭を下げて、「南無阿弥陀仏」を申すしかありません。

 

南無阿弥陀仏

 

“私にはこれで足りる”

先月、サンマテオ仏教会とパシフィカイスラム文化センターが協力してサンマテオ仏教会にて多宗教交流会とイフターディナーが開かれました。イスラム教徒はラマダンという一ヶ月の祝祭期の間に夜明けから太陽が沈むまで一日中食べ物も飲み物も一切取らない断食をします。そしてその日の断食が終わって食べる夕食の事をイフターと言います。交流会が始まると、まず皆んなで本堂に集まって、私がサンマテオ仏教会の歩みと仏教と浄土真宗の紹介をし、その後、重誓偈をお勤めして、参拝者のお焼香がありました。イスラム教徒の参加者は仏教勤行の体験をありがたく思って下さったようで、その中の数人はお焼香もしてくれました。

次にソーシャルホールに移動して、私の友人であるイマム(イスラム教の聖職者)イルマズ・バサク師がラマダンとイスラム教徒の断食について紹介しました。日没の時刻に合わせてイマム・イルマズ師が祈りの呼びかけをし、私が仏教の食前の言葉を言った後、それぞれテーブルに置いてあったドライフルーツとお水をいただきながら、美味しそうな地中海料理のブッフェの順番を待ちました。ブッフェを待っている間、同じテーブルに座っていたおじいさんが私に向かって、「貴方に贈り物をあげます」と言ってポケットからみかんを一つ取り出して私にくれました。そして「今日はみかん二つを持って来ましたが、私には一つで十分です。」と私に言いました。夜明けから何も食べてもおらず、飲んでもいなかったのにそのおじいさんは持っていた二つのみかんの半分を分けてくれました。その甘くてジューシーなみかんを口にして、「もし私が同じように夜明けから断食していたら、自分が持っていたたった二つのみかんを朝から二食とおやつも食べている人にあげられるだろうか?」と考えました。みかん一つだけを持って「私にはこれで足りる」と言えるでしょうか?私だったらその場合「この人は一日中食べたり飲んだりしているから、私の方がこのみかんを食べるべきだ」と思っていたでしょう。

そのみかんを味わいながら、私は大変尊い布施をいただいた事に気がつきました。「布施」は仏教の大切な功徳の一つであり、自己中心的でない清らかな心で人に物を施しめぐむことを示します。イマム・イルマズ師は、ラマダンの祝祭期に断食をすることによって、信者は日頃いただく恵みのありがたさをさらに感じる事が出来、また日頃十分な食べ物を食べられず苦しんでいる人たちへの関心も深める事が出来ると説明して下さいました。さらに、自分がいただく物に対しての感謝が深まると、施しの意志が高まるとおっしゃられました。このイスラム教のラマダンの行事との触れ合いのお陰で布施のことをより深く考えさせられました。布施は大乗仏教徒が日常生活の中で目指す六波羅蜜という六つの功徳の中の一番目に挙げられたもので、施しはイスラム教の五つの柱の中の一つです。イスラム教徒と仏教徒はそれぞれ特有の教義と伝統がありますが、お互いに友好と尊敬の心を持って触れ合うことが出来れば、自己中心的な生き方を乗り越えようとする人達は宗教が異なっても共通の価値観があるのだという事に気づく事が出来るでしょう。

 

南無阿弥陀仏

小ザメよ、仏様はあなたを愛している

子育てはとても挑戦しがいのある仕事です。自分の子供がやんちゃなことをしていると、親としては困りますが、周りの人はそのやんちゃなことする子供を見て笑いながら「お子さん元気ですねえ。」と言ってくれたりします。私の家族は三人の息子がいます。一番下はまだ赤ちゃんですが、そのうちにハイハイしだし、そして歩き始め、走ったり、話したり、動物の音まで真似したりするようになるでしょう。きっとそのうちに上の二人がまだ幼かった頃していたのと同じ様に、日曜日のお参りの最中に歩き回ったり、声を出したりする時が来るでしょう。ある日、一人のよくお参りに来られる方があまりお寺に来ない娘さんに話された言葉をふと耳にしました。「あなたはもっとお参りに来た方がいいよ。先生の息子がやんちゃなことするのを見るのは本当に面白いんだから。」そして、私が隣にいることに気づくと「それと、先生のご法話を聞くのもありがたい。」と急いで付け加ました。

数年前に上の息子の一人がまだ3歳前で落ち着きがない頃、花祭りの法要の真っ最中に綺麗に飾られた花御堂のテーブルの下に潜ってしまったことがありました。息子にとっては、自分を捕まえようとする妻から逃げるのは楽しい遊びで、花御堂のテーブルの左の方から入って、なんと反対側の花まつりのご法話をしていたゲストスピーカーの先生の目の前のところから出てきて、笑いながら妻の方を見ていました。さらに妻が息子を捕まえようとすると、息子はまた素早く花御堂のテーブルの下にもぐってしまいました。テールの下に愉快に座っている息子の姿は私が座っていたお内陣からはよく見えていました。

その日のゲストスピーカーは長年のご経験がある開教使の先生だったので、気にされる事なく堂々と話し続けられました。私が「誰も気づいていないといいなあ」と思いながら、外陣に座っているお参りの方を見ると、何人かの顔の表情でやっぱり気づいていることがすぐ分かりました。心配そうな顔をしている人もいれば、面白そうに見ている人もいました。私がどうしようと心配ながらお内陣に座っている間、妻はようやく息子を花御堂の下から引っ張り出して、もとの席に連れて行きました。この恥ずかしいエピソードは出来ればすぐ忘れてほしいと思っていましたが、最近あるご門徒さんが楽しくその年の花まつり出来事の思い出を話されたので、少なくともまだお一人はあの出来事をはっきり覚えておられるなあと思いました。そして、最後にそのご門徒さんは次のようにおっしゃいました。「仏教会は子供が子供らしく遊べるところで、本当にありがたく思っています。」

先月の花祭りの法要が終わった後、恒例のダーマスクールの出し物のプログラムがありました。プリスクールとキンダーのクラスが「Buddha Loves You」という懐かしい仏教讃歌をステージで歌ってくれました。その仏教讃歌の歌詞は可愛い小動物が次々と出て来るもので、皆な愛らしく、空を飛ぶ小鳥、鳴いている子猫、走り回る子犬、スイスイ泳ぐ小魚などの動きを表現しています。そして各節の最後は「小鳥よ、仏様はあなたを愛している(Buddha loves you little bird)」といった言葉で終わります。その歌に出る動物たちは皆おとなしくて可愛い動物たちです。

プリスクールとキンダーの子供達は皆それぞれ小鳥や子犬のコスチュームを着てステージに出ていて本当に可愛かったです。ただ小魚のコスチュームを最初に見た時、何かおかしいと思っていると、最後の節で子供達は次のように歌いました。「泳げ、泳げ、小ザメよ。小ザメよ、仏様はあなたを愛している。(Swim, swim, little shark, Buddha loves you little shark)」”と歌って、最後に可愛い小魚の小さな口の動きではなく、両手で小ザメが獲物に恐ろしく嚙みつこうとする様な大きな手の動きをしていました。私の息子はその小ザメ役の一人で、出し物が終わって、「小ザメは僕と友達が考えたよ。」と私のところに言いにきました。その子供の発想にも感心しましたが、その発想を肯定できる広い心を持ったダーマスクールの先生達に私はとても感謝しました。阿弥陀如来の大慈悲の心は可愛い小魚でさえ受け入れて下さいます。 ましてや凶暴な小ザメを受け入れてくださるのはいうまでもありません。

 

南無阿弥陀仏

怨みをすててこそ怨みが息む

2019年4月14日の9時半からサンマテオ仏教会で釈迦さまのご誕生を祝う灌仏会(花祭り)を行います。2,682年前、現在のネパールにあるルンビニーの花園に生まれた赤ん坊はシッダッタと名付けられ、後に悟りを開いて、釈迦牟尼仏(釈迦族の聖者)と呼ばれるようになりました。二千五百年以上経った今でも釈迦さまの真実のことばは心に響いてきます。ダンマパダ(法句経)にその一つが述べてあります。「実にこの世においては、怨みに報いるにうらみを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息(や)む。これは永遠の真理である。」(『ブッダの真理のことば・感興のことば』中村元訳 10頁)

花祭りでは、釈迦さまがお生まれになった日の様子を再現して銅像に甘茶をかけます。その銅像の右手が上を指し、左手が下を指している姿は釈迦さまが誕生されたすぐ後に七歩歩んで「天上天下、唯我独尊(唯(た)だ、我(われ)、独(ひとり)として尊(とうと)し)。」と言われた話に基づいています。この「唯(た)だ、我(われ)、独(ひとり)として尊(とうと)し」ということばの意味は自分の人生は他の人より尊いということではなく、幼いながら人間としての生まれの尊さを理解していたことを示しています。釈迦さまが人間としての生まれを大切にし、ひたすら悟りの道を求めて、そして悟りを開いた後は他の人々にその道をお伝えになられました。人間としての生まれは迷いと苦しみから解放できる貴重な機会であるという意味で尊いのです。釈迦さまのご誕生の話がその真理を表します。人生が中断されると解放の可能性が奪われてしまいます。釈迦さまは殺人者の悪人も仏の大慈悲に出会い、自分の行いを反省すれば、智慧の光に照らされている人生が開かれると説かれました。

怨みの暗やみにより大勢の命が奪われている現在の社会において、カリフォルニア州知事ギャビン・ニューサム氏が最近命じた死刑執行の一時停止は私に希望を与えました。2016年8月、北米開教区の開教使会は死刑の廃止を求める決議を承認しました。その決議を討論した際、一人の開教使が次のように言いました「身内の人が殺害された経験がない私は簡単に死刑への反対を表明できますが、もし自分の身内の人が殺害されたら、私の考えは変わるかも知れません。そういう風に考えてみると、愛している人が殺害された遺族の人に対して「あなたは死刑を求めるべきじゃない」とは言えません。この複雑な話題についての討論が続く中、様々な視点を認める開教使会に私も参加できて、ありがたく思いました。
討論の後半、一人の先輩開教使に次のことばをいただきました。「凡夫である私にとっては身内の人が殺害された故に死刑を求める人の気持ちはよく分かります。しかし、罪深い悪人の救いを願う阿弥陀如来の本願の心をいただく上でこの問題を考えて見ますと、死刑をされた人は仏様の智慧に出会い心を転回して、他の人を導く仏門を歩める可能性が奪われてしまうことになるので、死刑に反対します。」この言葉によって多くの開教使の考えがまとまり、決議の承認が出されました。

いかりとむさぼりとおろかさが多いこの世の中に現れて「怨みに報いるにうらみを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息(や)む」という永遠の真理を表した釈迦さまのご誕生を祝う花祭りは人間として生まれたことのありがたさをより深く味わえるご縁となる事でしょう。

 

南無阿弥陀仏

徹底した大いなる慈悲の心

先月の念仏セミナーで御講師シアトル別院元輪番カストロ・ドナルド先生が「エコサンガ-浄土真宗と環境保護」というテーマのもと、深く考えさせられるありがたいお話を聞かせて下さいました。地球温暖化によって、最近、ここ北カリフォルニアで頻繁に発生する大規模な山火事や、海に大量に浮かぶプラスチックのゴミなどの深刻な環境問題に対して、念仏者がどう答えるべきかについて、カストロ先生は詳しく述べられました。私はイーストベイに用事がある時など、なるべく車ではなく電車で行くようにしたり、コンビニなどでプラ袋をもらわないようにしたり、自分なりに日常生活の中で出来ることをしようとしていますが、これらの大規模な環境問題に対しては正直私一人の努力によってどれだけ改善しているのだろうという疑問を持つ時もあります。

希望が見えなくなるその時に仏法を仰ぐと、仏様の智慧の光が歩むべき道を照らしてくれている事に気がつきます。お念仏に生かされる人生の中で、大乗仏教の菩薩が起こして下さる下記の四弘誓願をありがたく思います。

一、衆生無辺請願度(一切の生きとし生けものすべてを、さとりの岸に渡そうと誓う)

二、煩悩無量請願断(一切の煩悩を断とうと誓う)

三、法門無尽請願学(仏の教えすべてを学び知ろうと誓う)

四、仏道無上請願成(この上ないさとりに至ろうと誓う)

(『仏教語大辞典』 中村元著 511ページ)

私は初めてこの四弘誓願に出会った時、非常に不思議に思いました。自分一人のことでさえなかなかさとりの岸に渡りつくことが出来そうにないのに、どうやってすべての生きとし生けるものを渡すことが出来るでしょうか?自分自身の煩悩一つでさえ抑えることに困難している私は、どうやって一切の煩悩を断てば良いのでしょうか?今まで二十年間自分なりに頑張って仏法を勉強してきたにもかかわらず、以前より何も理解していないような気がする私は、これからどうやってすべてを学び知ることが出来るのでしょうか?私自分の力によってこの上ないさとりに至るのは非常に難しいと思われます。

しかし、本願他力のお念仏の中で菩薩の道を歩む人生においては、自分の力で前に進むのではなく、仏様の智慧の光が歩む方向を照らして下さります。大乗菩薩の精神というは、仏様が説かれる真実の教えを信じ、諦めずに智慧の光が照らす道を歩み続けるということです。智慧の光が照らす道を歩めば、本願の不思議な働きによって、私自身が無上のさとりの岸に渡されるだけでなく、すべての生きとし生けるものを渡すことができるのです。

カストロ先生は講義の中で仏教徒の倫理は超自然的な神からの使命にも続くのではないということを明らかにされました。仏教の倫理とはすべての生きとし生けるものに対しての慈悲心に基づいているという理のことです。環境問題についての関心は山火事により住まいや命を失う人と動物さらに植物に対しての、そしてゴミの汚染により苦しめられる海の生き物に対しての哀れみの心によって起こってきます。環境問題に対する自分の無力を感じ落胆する時、『歎異抄』の第四章にある次の言葉に歩むべき道が照らされています。

慈悲について、 聖道門と浄土門とでは違いがあります。

聖道門の慈悲とは、 すべてのものをあわれみ、 いとおしみ、 はぐくむことですが、 しかし思いのままに救いとげることは、 きわめて難しいことです。

一方、 浄土門の慈悲とは、 念仏して速やかに仏となり、 その大いなる慈悲の心で、 思いのままにすべてのものを救うことをいうのです。

この世に生きている間は、 どれほどかわいそうだ、 気の毒だと思っても、 思いのままに救うことはできないのだから、 このような慈悲は完全なものではありません。 ですから、 ただ念仏することだけが本当に徹底した大いなる慈悲の心なのです。

このように聖人は仰せになりました。

(『浄土真宗聖典 歎異抄 現代語訳 9〜10頁』)

この教えの意味は自分一人ではこのような大きな環境問題を解決することが出来ないからと言って、人と生き物を助けようとすることに意味がないということではありません。確かに、私一人の力ではすべての生きとし生けるものの苦しみを取り除くことはできません。そこで、苦しむものが数え切れないほど多いからこそ、阿弥陀如来の智慧と慈悲が常にすべての生きとし生けるものをさとりに渡してくれるという本願が立てられました。その本願を信じる他力念仏の心とは、自然にお互いを敬い、助け合う人生を目指すものであります。

 

南無阿弥陀仏

徳眞

お陰様で三男アダムス一宮 徳眞(とくま) 文殊(もんじゅ)がカイザー・パーマネンテのレッドウッドシティ・メディカル・センターにて元気に生まれました。出産から退院までの間、妻の祥子と徳眞がカイザーの医師、看護師、その他病院のスタッフの方々に素晴らしいケアをしていただき深く感謝しております。

息子の名前が「とくま」だということを話すと、その名前に何かの特別な意味がありますかとよく尋ねられます。徳眞の「徳」という字はお念仏にいただく仏様のすぐれた功徳を示し、『仏説無量寿経』の「讃仏偈」にある次の言葉からいただきました。

 

戒聞精進(かいもんしょうじん)  三昧智慧(さんまいちえ)  威徳無侶(いとくむりょ)  殊勝希有(しゅしょうけう)

深諦善念(じんたいぜんねん)  諸仏法海(しょぶつほうかい)  窮深尽奥(ぐじんじんのう)  究其涯底(くごがいたい) 

 

〔み仏の〕行いと学習と努力と
心の平静と智慧(ちえ)も
すぐれたること比べものがなく
まことに立派であり稀有(けう)であります。

 

深く諦(あき)らかに、善(よ)く
海のように広大な諸仏の教えを念(おも)い
その深い奥底を窮(きわ)め、
その涯(はて)をも見究(みきわ)めておられます。

 

(http://shinshu-hondana.net/knowledge/show.php?file_name=sannbutsuge)

 

「眞」と言う字は「まこと」の意味で、仏様の教えが表す智慧と慈悲の真実を示します。

ミドルネームの「文殊」は、三人目の子供が生まれることが分かった時、妻がお母さんからよく聞いた「三人寄れば文殊の知恵」という言葉が思い浮かんだ事から名付けました。このことわざの意味は、「凡人であっても三人集まって考えれば、よい知恵が出るものだ」というものです。文殊菩薩は智慧の優れた菩薩であり、『仏説阿弥陀経』にも現されています。これからサンマテオ仏教会のご門徒の皆様にも見守られながら、息子三人がよく協力し、お互いに敬い助け合う兄弟になってくれればと願うばかりです。

 

南無阿弥陀仏