報恩講:親鸞聖人のご遺徳を偲ぶ法要

            浄土真宗本願寺派では毎年一月に宗祖親鸞聖人(1173〜1263)のご遺徳を偲ぶ「報恩講」という法要をお勤めします。報恩講は、親鸞聖人の曽孫の覚如上人によって親鸞聖人の三十三回忌の時に初めて行われ、それ以来続けられている特別な法要です。毎年、浄土真宗本願寺派の本山である京都の西本願寺で行われる御正忌報恩講では一月九日から十六日まで連日お勤めが行われ、中でも十五日の夜には日本各地から布教使が本山を訪れ、「通夜布教」という夜通しの法話会が行われます。今年のサンマテオ仏教会の報恩講は、一月二十二日にお勤めします。この報恩講は浄土真宗のお寺にとって、一年の中で最も大事な法要です。

            もし私が御門徒の皆さんに「一年の中で最も大事な法要は何ですか?」と尋ねたら、皆さんは釈迦牟尼仏の誕生を祝う花祭かまたは亡き家族を偲ぶ盂蘭盆会(お盆)と答える方が少なくないでしょう。では、なぜ報恩講が最も大切にされているのでしょうか?

            浄土真宗の教えは釈迦牟尼仏が説かれた真実の教えです。釈迦牟尼仏は三十五歳の時に菩提樹の下で座禅をしながら悟りを開かれました。釈迦牟尼仏はそれから八十歳で入滅されるまでの間、多くの教えを説かれました。そして、その四十五年間の間に全ての人々を救うための八万四千の法門を説かれたと言われています。「大蔵経」という釈迦牟尼仏の教えが記録されている経典の漢訳コレクションは一つの本棚が一杯になるほどのボリュームです。

            私のような凡夫には、その大蔵経を全部読んで理解するのは非常に難しいことです。二十年間比叡山で勉学を深めた親鸞聖人でさえ、自分の勉強と修行によっては悟りを開くことができないと気づいています。

            そこで、親鸞聖人は比叡山から降りて、法然聖人の下でお念仏の教えに帰依しました。法然聖人は「南無阿弥陀仏」の六字のなかに仏様の全ての智慧と慈悲が収め取られてあるという教えを親鸞聖人に伝えました。そして、親鸞聖人はその教えに帰依し、「正信念仏偈」に次のように南無阿弥陀仏の意味を述べられています。 「限りない命の如来に帰命し、 思いはかることのできない光の如来に帰依したてまつる。」あらゆる人々はまことの心で阿弥陀仏を信じ喜び、 阿弥陀仏の浄土に生れると思って、 たとえば十声念仏しましたら、 必ず阿弥陀仏のお浄土に往生できる。お浄土に往生するということは全ての悩みと苦しみから解放されて悟りを得るということです。親鸞聖人は、法然聖人から説かれたこの教えを多くの人々に伝えました。

阿弥陀仏に帰依することによって自分が救われることに気づき、その救いに対しての喜びと感謝の気持ちが満ち溢れ、自然と「南無阿弥陀仏」を申すようになるのが浄土真宗のお念仏です。親鸞聖人は誰もがこの阿弥陀仏の救いをいただくことが出来ると明らかにしています。

            釈迦牟尼仏の説法がなければ、私が救われるお念仏の教えはこの世に存在していません。また、親鸞聖人からいただくお導きがなければ、私はこのお念仏の教えに出会えていませんでした。このように、報恩講は親鸞聖人への御恩とお念仏の救いに対する喜びを深めるご縁となる法要ですので、浄土真宗では一年の中で最も大切な法要なのです。

南無阿弥陀仏