1206年の十二月、後鳥羽上皇が熊野に参詣のため留守の間、上皇の女房である鈴虫と松虫は法然門下の安楽房と住蓮房の専修念仏の集いに参加していました。女房らはお念仏の教えを聞いた後、心が転換し、そこで出家したそうです。
鈴虫と松虫が出家したことを知ると、上皇は腹を立て、安楽房と住蓮房を含めた法然聖人の門下四人を死罪に処し、法然聖人と親鸞聖人を含めた八人を流罪にしました。法然聖人は四国の方に流罪となり、残りの七人は僧籍を取られ、越後や九州、日本中に配流されました。その時、法然聖人の門下は悲しく思いましたが、法然聖人はこれもお念仏のご縁ですとお教えになられたそうです。法然聖人は流罪になった時、次の言葉を述べられています。
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