釈迦如来は慈悲の親

四月は釈迦牟尼仏(釈尊)の誕生をお祝いする花祭(灌仏会)の法要を行います。世界中の多くの仏教の宗派においても、同様に釈迦牟尼仏陀の誕生を祝う習わしがあり、南伝仏教で行われているウェーサク(Vesak)という法要でもこれをお祝いします。1999年、国際連合はこのウェーサクを国際的に認知されるべき祝祭とし、これが認定されました。

仏教の中にはそれぞれに宗派があり、皆それぞれのご開山や歴代の高僧をお偲びしますが、そのおおもとに、全ての仏教徒は釈迦牟尼仏をこの世に最初に現れた大恩師として尊ぶことが根底にあります。そういう意味で、仏道を歩む人々は皆が兄弟姉妹で、釈迦牟尼仏がその親と言えます。釈迦牟尼仏が私たちの親であることについて、善導大師は『般舟讃』に次のことを述べておられます。

謹んで、 すべての往生をねがう(どう)(ぎょう)たちに申す。 われらは大いに(ざん)()せねばならぬ。 (しゃ)()如来(にょらい)は実にこれ慈悲のみ親である。 いろいろのてだてをもって、 わたしたちに()(りき)の信心をおこさせてくださる。

また、 いろいろの方便(ほうべん)を説かれ、 その教えが一つでないのは、 ただわれら迷える(ぼん)()のためである。 もし、 よくその教えによって修行すれば、 いずれの教門でも仏を見たてまつり、 浄土に往生することができるであろう。

もし、 善を行ずる人を聞見したならば、 すなわちその善をもってこれを助けよ。 もし、 教えを行ずる人があるのを聞見したなら、 これを讃えよ。 もし人が行を説くのを聞いたならば、 その行によってこれに順え。 もし、 人のさとりあることを聞いたならば、 そのさとりについてこれを喜べ。

(『聖典意訳七祖聖教』)

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ブッダ入滅前の食事

ブッダが布教をされていた時、チュンダという鍛治工(かじこう)の子がいました。その時代、鍛治工は身分の低い仕事でしたが、チュンダは綺麗なマンゴー林を持っており、ある時ブッダはそのマンゴー林に泊まりました。王子として生まれたブッダのような身分の高い人が身分の低い鍛治工(かじこう)と交流することは殆どなかったので、チュンダはとても光栄に思いました。

チュンダはブッダが説かれた教法をとても喜び、ブッダとその弟子を自分の家で食事をするように誘いました。ブッダは黙ってその誘いを受け入れ、チュンダは立派なご馳走を用意してくれました。

ご馳走の中の一つの料理はたくさんのきのこで出来ていました。そのきのこの料理が出された時、ブッダはその料理を自分だけのものとして、一緒に来た仏弟子には他の料理をあげるように言いました。ブッダはそのきのこ料理を食べ終わると、この料理は既に悟りを開いた人だけが食べられる。」と言い、チュンダに残りは穴に埋めるように言いました。

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歓喜会

8月に行う盂蘭盆会(お盆)はお釈迦様が目連尊者という仏弟子に説かれた布施(ほどこし)についての教えに基づく法要です。目連尊者は自分の母親が亡くなった後、餓鬼道という欲が多く、満足する事のない苦しい世界に落ちていることを見てすぐにお釈迦様のところへ行き、どうすれば母親を救うことが出来るか尋ねました。お釈迦様は目連尊者に僧侶の仲間に食べ物や衣等のお布施をするよう説かれました。そして、お布施をした後、母親が餓鬼道から開放された様子を見た目連尊者はとても喜びました。

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尊い命

4月は花まつりの法要をお勤めします。花まつりというのは2,645年前にネパールにあるルンビニーの花園でお生まれになったゴータマ・シダッタのご誕生をお祝いする日です。仏陀になることを目指し何回も生まれ変わり、ずっと修行してこられた人を菩薩と言います。この仏陀になられる菩薩の誕生については『仏説無量寿経』に次のように述べられています。

右の脇から生れて七歩歩き、 その身は光明に輝いて、 ひろくすべての世界を照らし、 数限りない仏の国土はさまざまに震動する。 そこで、 菩薩自身が声高らかに、「わたしこそは、 この世においてこの上なく尊いものとなるであろう」 と述べるのである。

現代人の科学的な考え方から見ると、このような生まれ方は不可能であろうと思われるかもしれませんが、この話は化学的な現実よりも宗教的な真実を表しています。

            科学的な現実は目で見えるもの、耳で聞こえるもの、手で触るものなど物理的に計られるものに基づいています。その見方からすると、私の命はこの体から生まれた時に始まり、死ぬ時に終わるとなり、その考え方は計り知られるものに限られている。

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