毎年、盂蘭盆会と初盆法要の時期を迎えるたびに、別れの悲しさの中にも安らぎを与えてくれるお念仏の力に気づかされます。毎年、サンマテオ仏教会のお盆の行事が終わると、もうその次の週に私の息子達の学校が始まるので、私にとってお盆が終わると夏が終わったという気持ちになります。異例の今年の夏は、初盆法要の後片付けをしながら、新型コロナウイルスが終わったらお供えのおまんじゅうをいつか皆で食べるために取っておこうと思い、久しぶりに仏教会の冷凍庫を開いてみると、大量のハンバーガーパティが入っていて、毎年の仏教会の夏のピックニックの時に食べるハンバーガーの美味しさを思い出して、今年の夏に出来なかった仏教会の行事が次々と思い浮かんできました。私にとって夏の始まりであるバザー、仏教婦人会が七月に行うコルマ日本人共同墓地のお墓参り、そのお墓参りの後のサウスサンフランシスコのデニーズレストランでの婦人会の方たちとのブランチ、四年ぶりに企画していた家族との日本旅行、仏教会のサマー寺子屋、盆踊りの練習の時に食べるスパムむすび、仏教会の本堂が満堂になる盂蘭盆、そして、初盆の参拝者の方々と一緒に唱えるお経の響きの全ては、残念ながら今年の夏は経験することが出来ませんでした。
今年の初盆法要の際、私は先亡者のお名前を聞きながら、その方々との思い出と仏教会の夏の行事の思い出とが重なり次々と思い出されました。同時に、楽しみにしていた夏の行事が全て出来なかったことに対しての悲しさや虚しさを感じもしました。愛別離苦(愛している人や物事から離れる苦しみ)というのは皆が必ず会う八つの苦しみのうちの一つであり、それは、釈迦牟尼仏が悟りを開いた後、初めて説教された時に説かれた四諦の教えに詳しく述べられてあります。釈迦様の教えは私たちが苦しみから解放されるために説かれた教えであり、お盆、初盆、お彼岸などの大法要の際に仏様の智慧の光を仰ぐことによって、悲しみや苦しみの中にも安らぎをいただくことが出来ます。現状では、テレビ電話や電話でのお参りが主で最も安全な方法で以前のお参りと異なりますが、それでもこのお盆の季節に心に安らぎを与えてくれる有難いご縁の一つになったと言えるでしょう。
不急不要外出禁止令が初めて発表されたのは今年の3月の春季彼岸会の直前でした。それから半年経つ2020年9月20日(日曜日)に、秋季彼岸会をオンラインにてお勤め致しますが、今年の春と秋の彼岸の間の生活はずっと新型コロナウイルスに大きく影響されるものとなってしまいました。仏教において、彼岸はこの苦しみの世界(此岸)から仏様の悟りの世界(彼岸)に渡るという意味を表しています。先月8月の盂蘭盆会の際、桑原浄信先生はお念仏によって仏様の悟りの世界が私たちに働きかけてくれることについてお盆のご法話をしてくださり、「念仏もうすところに立ち上がっていく力が与えられる。」という西元宗助先生のありがたい言葉を紹介してくださいました。仏様が苦しんでいる私たちを救いたいというお心は南無阿弥陀仏という形になり、今日の私たちにまで届いて安心を与えてくださっているのです。
新型コロナウイルスの緊急状態もいつか終わる時が来るでしょう。形は多少変わるかもしれませんが、仏教会のありがたい行事もいつか必ず戻ってきます。その時はお念仏の仲間と共に立ち上がっていくことを楽しみにしています。ツインシティズの土屋トッド先生(歌詞)とサクラメント別院の水島コウイチさん(出演)が「ハミルトン」というミュージカルに基づいて製作したパロディーのYouTubeビデオにそのお念仏申すところに立ち上がっていく力が表現されています。土屋先生が書かれたその歌詞の翻訳は次の通りです。
私たちは今度会う時に、きっと笑う
我慢したことは価値があったからだ
以前に大変なことは色々あったにもかかわらず
私たちの仏教会はまた立ち上がってきたのは
無量の慈悲のお陰であったのです。
南無阿弥陀、南無阿弥陀仏
ただ念仏を申すのが良い
南無阿弥陀仏