- August 2026 Minister’s Message (日本語)
ともに歩むよろこび ― バザーに息づく御同朋・御同行のこころ ― 6 月 28 日と 29…
Read more: August 2026 Minister’s Message (日本語) - 心穏やかな踊り
仏教の目標が自我を忘れさせることであれば、盆踊りはそのための良い実践法の一つと言えるでしょう。盆踊りはパフォーマンスではありません。踊って自我を忘れることにより、仏法が私たちの人生に働きかけ、物事の見方を違う角度からも捉えられるよう心を転回させてくれるのです。 今の争いが多い世の中において、盆踊りは皆が仲良く心穏やかになる行事です。盆踊りと言えば、私が開教使なったばかりの頃に参加した盆踊りの経験を思い出します。その日、盆踊り開始の時間が近づくと、踊りの先生たちが綺麗な浴衣を着て仏教会の駐車場の真ん中で小さい輪をつくった途端、すぐにたくさんの人たちがその周りに集まりました。参加者の半分ぐらいは他の仏教会から踊りに来ていたようで、初めて盆踊りを見に来た方たちも大勢いるようでした。初めて来た人たちは、輪の真ん中にいる浴衣を着た人たちが踊りを見せてくれるだろうと思った様子で、なるべく真ん中に近づこうとしていました。 踊るのを目的に来た人たちはあちらこちらに点々とわかれ、真ん中に近いところや外側、その間に程よく混じっているようでした。そして、踊りの音楽が始まると、素晴らしい出来事がありました。踊りを経験したことがある人たちは真ん中の先生たちの動きに倣って踊り出し、自然と三つの輪を描くように皆が進み始めました。すると、見物だけのつもりで来た人たちは踊りの真ん中にいるのに気づくと、ある人はパニックになって急いで輪の外に移動し始め、ある人は「これは面白い!」と喜んだ様子で踊りの流れについて踊りに参加していました。この時、初めて一緒に踊りに加わった方々は不安な気持ちから喜びへと変わった心の転回を通して、盆踊りの楽しさを味わう事が出来たと思います。 皆さんは、自分の人生が思う通りにいかない時はどのように反応するでしょうか? 私が自分の思う通りに人生がいっていない時は、イライラして自分の期待に更に執着する傾向があります。そして、自分の行きたい方向に進むようもっと努力すれば、どうにか私の思う通りになるはずだと思いがちです。しかし、本当に自分の思う通りにいかないことに気づくと、今度は不都合な現実から早く逃げようとしてしまいます。このように自分の思う通りの事情を追いかけたり、不都合な現実から逃げたりすることからは、安定した心の安心を得ることはできないと仏様は教えてくれています。 私にとって盆踊りは、追いかけたり逃げたりする私たちの心からそのままの現実を受け入れる穏やかな心に転回する尊いご縁だと思います。先にお浄土に往生した方々の導きを頂きながら、共にこの人生を歩むお念仏の仲間と共に仏様の悲願の船に乗り、心穏やかに踊らせていただきましょう。 南無阿弥陀仏
- 慈しみあわれむ親様
五月は母の日をお祝いします。「母親」と言うと、ある人は生みの母を思い浮かべるでしょうが、ある人は生みの母ではなく、自分に優しくしてくれた方を思い浮かべるでしょう。一人の御門徒さんはご自身の生みの母の近くにはお住まいではないものの、「お寺の婦人会にお母さんがたくさんいます。」と、よくおっしゃっていました。そして、婦人会の方に何か注意された時には、「はい、お母さん、分かりました!」と返事し、何か手伝ってもらった時には、「お母さん、ありがとうございます!」と言っていました。彼女の言う「お母さん」という存在は、生みの親ではなく、自分のことを思ってくれる存在を意味しています。
- 特別法座:江本常照先生 Special Dharma Lecture by Rev. Jōshō Emoto
2024年7月8日(月曜日)午後3時からサンマテオ仏教会の本堂で特別法座を行います。 Monday, July 8, 2024 3:00 p.m. (Pacific Time) Special…
Read more: 特別法座:江本常照先生 Special Dharma Lecture by Rev. Jōshō Emoto - 春に咲く花
私の実家があるミネソタ州は冬が寒いので、子供の時、毎年秋には枯れた花を取り除く母の庭仕事を手伝って、次の春のための庭の土を準備したものです。ある年の 11月、私は庭に花の球根を植えながら「これから四ヶ月先まで土はずっと凍っているのに、なぜ今これを植えないといけないかな」と不思議に思っていました。 しかし、翌年の4月になるとたくさんのチューリップやクロッカスの花が綺麗に咲きました。その四ヶ月の間、庭には何も生きている植物はないと思っていましたが、そこにはちゃんと美しい命が存在していて、出てきた芽や花を見た時は感動しました。つまり、庭に命が消えていた訳ではなく、形を変えて存在していただけだったのです。その時の花が咲いたことを見て気付いた自然界の経緯を思い返すと、過去の原因が今の結果になることが理解できます。