サンマテオ仏教会に赴任する前の3年間半、私はオックスナード仏教会とサンタバーバラ仏教会を任されていました。ある日、サンタバーバラ仏教会のメンバーの方から電話があり、「馬場さんが入院しています。先生が会いに行ってあげたら喜ぶと思います。」と伝えてくれました。馬場さんは95歳の帰米の男性の方で、法要の時は必ずスーツとネックタイを着て参拝されていました。口数の少ない方でしたが、法話の時の熱心なお聴聞の姿が印象に残っています。
その当時は、我が家の長男が一歳になったばかりの頃で、まだまだ子育てしながらの生活に慣れておらず、連絡をいただいた時はその内容に少し慌てていたところでした。馬場さんの病室に入るとたくさんの医療機械がベッド脇に並んでいて、ピーピー音を出して作動していました。馬場さんは私を見ると、「先生、お忙しい中、ありがとうございます。」とすぐに挨拶をしてくれました。私は「馬場さん、どうですか?」と聞いたら、「まあ、ぼちぼちです。先生の奥様と坊やは元気ですか?」と答えてくれました。
30分程のお見舞いでしたが、運転して帰りながら馬場さんとの会話を思い出していたら、馬場さんのことより、私の家族についての話が多かったことに気づき、何だか恥ずかしく思いました。どうも馬場さんは自分の苦しいことよりも周りの人々のことを考えておられた感じがしました。
それから数日後、馬場さんの娘さんから電話があり、馬場さんが往生されたことお知らせでした。おそらく、私がお見舞いに行った時に馬場さんはご自分の往生が近いと分かっていたのかもしれません。しかし、阿弥陀如来の本願の教えをよく聴聞されていた馬場さんは自分が必ず極楽に往生することを信じており、一切心配することはありませんでした。
馬場さんのように95歳まで元気に暮らせる人は珍しいです。世の中を見ていると、人はいつ往生してもおかしくありません。これについて蓮如上人の白骨章に次のことばをいただきます。
いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。 われや先、 人や先、 今日ともしらず、 明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづくすゑの露よりもしげしといへり。 されば朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。
三月は春のお彼岸法要を行います。彼岸には太陽がちょうど西の方角に沈みます。浄土真宗におけるお彼岸の意味は、苦しみが多いこの岸から生死の海を渡り極楽の岸に着くということを意味します。極楽への旅は死んでから旅立つのではなくて、毎日の人生の中でお浄土に向かって歩むのが念仏者の生き方です。
馬場さんのように熱心に仏法を聞く方は常に西にある阿弥陀如来の世界に向かって人生を過ごします。日々共に人生の旅を歩む仲間を大切にし、お浄土に近づいた時はそのまま心穏やかに西の方に向かいます。
南無阿弥陀仏
