お盆に、私たちは先に往生の素懐を遂げられた身内の方々を偲びます。今年は月日の盆踊りと月日の初盆法要を迎えるにあたり、私は今年月日に往生した私の祖母の兄、アール・ケニオンに感謝しています。
この世で最後にアールおじさんに会ったのは私の実家で行われた長男の誕生のお祝いパーティーでした。その時、アールおじさんはモーターホームをカンザスシティからミネソタにある私の実家まで運転して、ドライブウェイに停め、家の中に入った瞬間、私をハグして、「ヘンリー君、久しぶりだね。僕も仏教徒になったよ。あなたが京都で仏教を勉強した時の経験や仏様の教えを話すことを楽しみにしていた。」と言ったのでした。確かに仏様の教えは隔てなく全ての人生の拠り所であるけれども、中西部の真ん中にあるカンザスシティに暮らしている歳のアールおじさんが母側の親戚の中で私の次に二人目の仏教徒となるとは正直想像がつきませんでした。
アールおじさんとの会話の中で、年間連れ合った奥さんがアルツハイマー病で往生したあとの寂しさと向き合うために、カンザスシティの仏教グループに入って瞑想をしたり、仏様の教えを聞いたおかげで徐々に心が落ち着いていったという話を聞かせてくれました。仏様の教えに導かれ、悲しみの中にご縁の有り難さが見えてきたといいました。
私が子供のとき、アールおじさんはテキサス州のサンアントニオ市に住んでおり、私は両親と共におじさんのうちを訪れました。ちょうどその時、私の従兄弟アールおじさんの孫も遊びに来ていたので、とても楽しく一緒に遊んでいました。走り回りながら、家を出たり入ったりしていると、アールおじさんが「靴を履く前に、サソリが靴の中に隠れていないか確認してね。」と親切に注意してくれました。その旅行の間に従兄弟ととても仲良く楽しく遊べたのはアールおじさんの優しさが満ち溢れた家で過ごせたおかげだと思います。
智慧と慈悲はアールおじさんの人生のよりどころでした。仏様の教えにであったら、仏法に帰依することは自然なことだと思います。浄土和讃に親鸞聖人は次のように述べておられます。
智慧の光明はかりなし 有量の諸相ことごとく
光暁かふらむものはなし 真実明に帰命せよ
『浄土真宗聖典 註釈版』557頁
アールおじさんの人生に仏様の智慧の光が朝日のごとく照らしたように、この世の全てを照らし、暗闇をも明るくしてくださることを深く味合わさせていただきました。
南無阿弥陀仏