6月に入ると学年も終わって、いよいよ夏休みを迎えます。夏休みを目前にして、学生らは一年間の学習をまとめた試験や大きいプロジェクトを頑張って終えないといけません。この季節になると私は自分の大学時代が懐かしく思えて、ラーソン先生という日本語を教えていただいた教授のことを思い出します。ラーソン先生は期末試験が終わると「皆さん、お疲れ様でした。よく頑張りました。出来れば今年習ったことを忘れないように、夏休み中に少し日本語に触れ合った方がいいですが、来週までは日本語教科書を開けずに、ゆっくり休んでください。」とおっしゃっていました。一つの仕事を終わらせたら、休むことが大切です。休みながら今までに達成したことを振り返られるし、その後に何をすべきなのかも考えられるからです。
試験の準備をしている時、私たちはその科目を自分でできるように努力するので、「自分ができること」に集中します。そして休み時に入ると、先生や親、そして友達など色々な人がサポートしてくれたことに気がつきます。一生懸命頑張ったから、休むこともできるし、ちゃんと休みを取れば、またしっかり頑張ることができます。頑張ることと休むことのバランスを取ることは仏様の言葉で「中道」と言い表せます。中道を歩むためには生活のリズムを守ることが大切です。そして「何ができるか」ということよりも「どう生きるか」ということに視点をシフトすることで、自分がすべきことが自ずと備わってくるでしょう。
身体を休めることもとても大事なことですが、心を休めることはそれ以上に大切なことだと思います。例えて言うならば、いくら身体を休ませても、心を休めないと疲れは芯から取れないでしょう。そして、心の疲れがとれていれば仕事や勉強、運動などもまた頑張れるでしょう。このように心の休憩が出来ればあまり疲れないことを考えると、心の休め方を見つけることがとても大切なことが分かります。
自己中心的な考え方をする生き方では心はなかなか休めないでしょう。例えば自分が欲しいものを求めて働いたら、欲しいものが手に入るまで心は休めないし、欲しかったものがやっと手に入ってもまたすぐに違うものが欲しくなって、常に心が満たされていない状態のために心を休めることが出来ません。また、自分が嫌なものを避けてばかりいたら、どうしても避けられない場合もあるだろうし、万が一一つの嫌なものを避けることができても、またすぐに自分の別の嫌なものは出てくるので安心して心を休めることは出来ません。
それとは反対に私たちは、自分のために働くのではなく、視点を変えて自分がいただいているご恩の感謝を表すために働くことが出来ます。それを「御恩報謝」といい、これが出来れば心を休める大きな転回となります。欲しいものばかりを考えていつまでも不満足が続く心を転回することで、すでにいただいているものをありがたく思えることで、心もようやく休まります。また、自分の都合で嫌うものを永遠に避けようとするいつまでも不安がる心を転回することで、自分のわがままが周りの人を嫌がらせることに気づくことができ、自分を仲間外れをしていない周りの人たちのやさしさに感謝する気持ちに変わることで心も安らぐでしょう。
念仏者として、最も感謝すべき存在は極楽の安らぎをわがままな私たちに分け隔てなく与えてくださる阿弥陀如来です。そういう意味で、御恩報謝の念仏はもっとも深い心の休め方と言えるでしょう。親鸞聖人は次の言葉を選び、御恩報謝に勤める心を現されています。
浄土に往生できるかどうか不安な人は、まず自らの浄土往生をお考えになって、念仏するのがよいでしょう。自らの往生は間違いないと思う人は仏のご恩を心に思い、それに報いるために心を込めて念仏し、世の中が安穏であるように、仏法が広まるようにと思われるのがよいと思います。
(『親鸞聖人御消息 恵信尼消息(現代語版)浄土真宗聖典』 81〜82頁)
南無阿弥陀仏