金剛心

12月2日(日曜日)午前9時半からサンマテオ仏教会にて釈迦牟尼如来が35歳の時に菩提樹の下で悟りを開いたことを祝う成道会をお勤めします。お釈迦様は生涯の残り45年を、悟りの真実を示す仏法を説くことに捧げられました。そのうちサンガ(僧)・門弟が増え、庶民から国王まで多くの人々がお釈迦様に帰依しました。

お釈迦様の従兄弟のデーヴァダッタもサンガに入っていましたが、お釈迦様を羨やみ、自分自身の門弟を欲すようになりました。デーヴァダッタはより厳しい修行を進め、お釈迦様の門弟を分裂させ何百人をも引き連れて、自分の門弟にしてしまいました。その頃、ある日お釈迦様が森に静かに座っておられたところを、一人の男がお釈迦様を暗殺目的で襲おうとしました。しかし、男はお釈迦様が座られているところに近づくとその穏やかな姿に感動させられ、自身の後悔を白状し、お釈迦様に頭を下げました。お釈迦様は落ち着いて話を聞いておられましたが、攻めに来た男は報復を恐れ、誰に雇われたのかを言いたくありませんでした。お釈迦様はその男に帰りは別の道を使い、母親と共に避難するように導かれました。

その後、仏弟子の舎利弗と目連は、デーヴァダッタに連れられ引き離されていた門弟たちの下を訪ねました。デーヴァダッタはお釈迦様の偉大な仏弟子が自分の門弟に入るものと思い込み、喜んで舎利弗と目連を歓迎しました。舎利弗はその門弟たちといる間に素晴らしい説法を説き、そこにいる修行僧たちはそれをありがたく聴聞しました。説法を終えると、舎利弗は「今までに出会った誠の教えを説かれている師匠は釈迦牟尼如来の他にはいません。」と言い残し帰っていきました。それを聞いた数百人の修行僧たちはようやくデーヴァダッタに騙されたことに気がつき、舎利弗と目連と共にお釈迦様の下に門弟として戻りました。

デーヴァダッタはこの事にひどく腹を立て、恐ろしい出来事が相次いで起こりました。ある日、お釈迦様が歩かれていた道に大きな岩が坂を転がり落ちてきて、お釈迦様の足を怪我させました。お釈迦様の門弟はさすがに慌てていましたが、お釈迦様は落ち着いておられ、足の治療のために先ず有名な医師耆婆大臣を呼ぶようにおっしゃられました。

しばらく経った後、お釈迦様の足がある程度治ると、お釈迦様は門弟と共に托鉢に街に出掛けられました。街の中心に入ると、怒った象がお釈迦様の方に向かって走ってきました。周りの人々は急いで逃げましたが、お釈迦様は自分のいた場所にそのまま立っておられ、仏弟子の阿難も逃げずにその場に一緒に立っていました。象はお釈迦様の穏やかな姿を見た瞬間静かになり、お釈迦様の足元で膝と頭を地面につけました。お釈迦様が象の鼻を撫でられると、象の怒りは消えていきました。

これらお釈迦様の生涯の話を耳にしますと、仏様の悟りはお釈迦様の日頃の姿に表れ、周りの怒りと悪意を治めてくれます。この話の中で私にとって特に印象に残ったのは、象が攻めて来た時、阿難が落ち着いて逃げなかったことです。仏様はすでに悟りを開かれていたため全ての恐怖から解放されておられましたが、阿難はお釈迦様の入滅までは悟りを開いていませんでした。この時、阿難はまだ煩悩と恐怖から解放されていませんでしたが、釈迦牟尼如来を信じ一緒にいれば何があっても安穏でいることが出来ました。

お釈迦様は自分の入滅後に生まれる人々が仏様に直接出会われる機会がないことを哀れんで、浄土三部経を説かれました。何か恐ろしい出来ことが起こった時、釈迦牟尼如来のそばに行くことができない私たちにも南無阿弥陀仏のお名号が届き、お念仏を聞き阿弥陀如来を信じることによって、穏やかな金剛の心をいただくことが出来ます。親鸞聖人はお念仏の人について次のように述べておられます。「釈迦・諸仏の弟子なり、金剛心の行人なり。この信行によりてかならず大涅槃を超証すべきがゆゑに、信の仏弟子といふ。」(『浄土真宗聖典 註釈版 256〜257頁』)