功徳に勝れている

この間、お参りの後に仏教会の会長が皆さんに挨拶した際、こう言われました、「先ずはアダムス先生に遺憾の意を示しめします。」一瞬、一体何の話だろうと思いましたが、続けて「昨日のアメリカンフットボールのディビジョン決勝戦でサンフランシスコ・フォーティナイラーズが先生の実家ミネソタ・バイキングスに圧勝したことは申し訳ありませんでした。」と。なぜなら、惜しくもバイキングスが負けてしまったので、ミネソタの多くの方が希望していた二月二日のスーパーボールへ登場の可能性は消えてしまったからです。

スーパーボールはアメリカンフットボールの優勝戦であり、家族と友たちが集まって見ることはアメリカの特徴な文化の一つと言えるでしょう。スパーボールに登場するチームは自分のディビジョンとコンファレンスの他のチームに勝利しないといけません。それほど勝れたチームは内面に強いやる気の精神、戦略力、努力などが必要かつ、外面に速さ、力、良い装具が必要です。

実際にスーパーボールの舞台に立つことが出来る人は少ないのですが、試合を見るのが楽しいのは、私たちそれぞれの人生の挑戦の中でも勝利したり失敗したりすることがあるので、一生懸命頑張る選手の姿を見ることで私たちも選手らから頑張るエネルギーと勇気をもらえるからです。

仏様の教えではむさぼり・いかり・おろかさの三毒に勝利することが人生の中の最も大切な挑戦だとされています。むさぼり・いかり・おろかさは私たちの自己中心的な生き方から起こり、自分自身と周りの人たちを苦しめることから、三毒と言います。但し、仏様の智慧と慈悲をいただき悟りを開くことによって私たちも三毒に勝利することが出来るのです。

スーパーボールで優勝するチームは内面外面両方に勝れた選手であることを表しています。同じように、悟りを開き、むさぼり・いかり・おろかさに勝利する人は内、外ともに仏様の勝れた功徳を備えていることを表します。仏様の内面的な功徳は智慧と何に対しても恐れることのない強い心です。そして、仏様はすべての人々を救うため仏法を広めることで外面的な功徳も示されています。仏様はこのように仏法を広めることによって、私たち皆の人生に智恵の光を照らして下さっているのです。

「南無阿弥陀仏」という名号で仏様の智慧と慈悲が私たちの心に届きます。法然聖人は『選択本願念仏集』に次のようにその名号の徳を述べられています。

名号は万(よろず)の徳の帰するところである。 ゆえに弥陀一仏の持っておられる四智(しち)・三身(さんしん)・十(じゅう)力(りき)・四無(しむ)所(しょ)畏(い)などの内に一切の証得せられた徳と、 相好・光明・説法利生 (法を説いて衆生を利益する) などの外に働く一切の功徳とが、 みなことごとく阿弥陀仏の名号の中に摂まっている。

(『聖典意訳七祖聖教』)

阿弥陀如来が名号になって、私たちの心に届くことによって、悟りの一切の功徳をいただくことになります。南無阿弥陀仏を申すと言うことは仏様の智慧と慈悲が私たちの人生に働きかけてくれることに気づき、感謝を表すことです。お念仏のいわれを聞くことによって、阿弥陀如来の智慧の光が私たちの心を照らし、愚痴の畏れと闇から解放してくれるのです。

人生の様々な挑戦に向き合う時に名号が智慧の光を照らし、歩むべき道を明らかにしてくれます。その働きの導きに気づいた時、自然に「南無阿弥陀仏」の念仏が口から現れるのです。

 

南無阿弥陀仏