馴染みの味

数年前のサンマテオ仏教会のバザーの週末に、ミズーリ州に住んでいる私の従姉妹が旦那さんとサンフランシスコに旅行に来ている写真をフェイスブックにアップしたのに気づいたので、せっかくサンフランシスコにいるなら、是非サンマテオにも遊びにおいでと誘いました。従姉妹は「ヘンリーがカリフォルニアに住んでいるのは知っていたけど、サンフランシスコの近くだと知らなかったわ。今日の午後遊びに行くね!」と返事をくれました。

サンマテオ駅で列車を降りて、仏教会の駐車場に近くに連れて、照り焼きチキンや焼きそばの美味しそうな匂いがしてきっとお腹も空いてきたに違いありません。彼らを迎えると私は早速、食べ物のメニューを紹介しました。従姉妹の旦那さんが「夏だからカリフォルニアもミズーリ州のように晴れて暑いだろうと期待していたけど、サンフランシスコは意外に寒いね。暖かい洋服を一枚も持って来てなくて、朝からずっと霧の中、半ズボンとTシャツで観光していたから寒かったよ。何か暖かい食べ物はない?」と聞いたので、私はほかほかのカレーを持っていきました。

従姉妹は「寿司」という言葉を聞いて目が輝いていたので、寿司バーから何か欲しいものあるかと聞くと、「お任せするわ。じゃあ、ヘンリーの家族が好きな食べ物で!」と言ったので、私の次男が好きなファームや中西部に関連する、彼の大好物の一つにしました。 従姉妹がそれを食べてみた途端「何かの馴染みのある味がするわ。何故かアイオワに住んでいるお婆ちゃんが作った朝ごはんを思い出す!何だろう。海苔とご飯ではないわね。このもう一つの材料は何だろう?あっ!分かった!スパムだ!スパムの寿司?!素晴らしい!」と言いました。

意外なところで従姉妹はおばあちゃんの愛情が込もった朝食の味を思い出し、子供の時からいただいてきたおばあちゃんのお育ての心に気づかされたのでした。このように、私たちをこれまでずっと支えてきてくれたお育ての心に気づかされることがしばしばあります。

お念仏に生かされている私たちには、「南無阿弥陀仏」の六文字の中にこのお育て心の味わいが入っているように見えます。 「南無阿弥陀仏」というのは「無量の智慧と慈悲に悟った阿弥陀如来に帰依します」という意味です。『仏説阿弥陀経』には下記のように述べられています。「かの仏の光明無量にして、十方の国を照らすに障礙するところなし。このゆゑに号して阿弥陀とす。」(浄土真宗聖典 註釈版 124頁)楽しい時も困っている時も、私たちは常に仏さまの智慧の光に照らされています。この仏様の光によって、私たちへの救いを常に願って下さっている仏様のお心に気づかされるのです。

私たちの目は迷いの雲によって遮られている時がしばしばありますが、智慧の光に照らされている自分自身の心や人と人のつながりに気づきますと、これまでずっと支えて下さっているお育ての心が見えてきます。そうすると、阿弥陀如来が常に私たちを救おうとはたらきかけて下さっている本願の心が思い浮かばれ、感謝のお念仏があふれてくるのです。そして、このお念仏が続くことによって、私たちの人生の中における智慧と慈悲のはたらきの有難さがさらに深まっていくのです。

 

南無阿弥陀仏