年末年始も近まり、今年は久しぶりに家族の集まりを予定している人が多いようです。私も二年半ぶりに家族をつれてミネソタ州にある故郷に帰ることにしました。久しぶりに両親に会うと、離れて住む家族と一つの場所に集うことの良さを改めて感じました。一つの暖かい部屋に座り、一つの鍋から美味しい料理をいただき、楽しい話をしながら、家族や友達と同じ空気を吸うのは本当にありがたい事です。実際に会って過ごすことで、電話やオンラインでは伝わらないことが伝わるのも良いところですね。
私の知る方が、先日、家族でサンクスギビングを過ごされた時の話をして下さいました。久しぶりに家族全員が食卓に集まって、楽しい会話をしながらご馳走をいただいたそうです。しかし、その数日後、家族の一人が発熱とインフルエンザのような症状を訴え、その家族は新型コロナウイルスのワクチン接種もブースター接種もしていたにも関わらず、コロナウイルスのテストを受けたところ、陽性だったとのことです。それから家族全員がテストを受けたところ、さらに二人が陽性だったそうです。幸い皆がワクチンを接種していたので、重病には至らなかったものの、すでにワクチン接種をしていても、ホリデー中に集まりをする前はコロナウイルスのテストをしておいた方がいいですよと、その方は今回の経験から私にアドバイスを下さいました。
今は新たなコロナウイルスの変異株に注目が集まっていますが、私たちが知らないうちにそれ以外のものでも人から人に伝染するものは色々あります。あっという間に広まる病気もありますが、一方で、ありがたい仲間から広まる尊いものもあります。私があるご法話を聞いていた時、その御講師の先生は「ありがたい人と一緒に過ごすのは霧に歩くようなことです。その時は濡れていないと思っていても、家に帰ると衣の中まで霧が泌み混んでいることに気づく。」とお話して下さいました。
念仏を喜ぶ同朋と一緒に時間を過ごしているうちに、心が自然に仏様の智慧と慈悲に向かって、感謝の念仏を申すようになることもあります。浅原才一さん(1850〜1932)とおっしゃる妙好人は次の言葉を詠みました。
かぜをひくとせきがでる
さいちがごほうぎ(法義)のかぜをひいた
ねんぶつのせきがでるでる
手を洗ったり、マスクをしたり、暖かい洋服着たりと風邪予防の対策は色々あります。しかし、私たちがいくら気を付けていても、風邪を引いてしまうことがあるので、風邪を引くか引かないかは、自分の努力だけにゆだねられることではない気がします。
才一さんが言うご法義というのは私たちの救いが説かれている阿弥陀如来の本願の教えのことです。この本願のご法義について、『歎異抄』 第二章に親鸞聖人の次のお言葉があります。
この親鸞においては、 「ただ念仏して、 阿弥陀仏に救われ往生させていただくのである」 という法然上人のお言葉をいただき、 それを信じているだけで、 他に何かがあるわけではありません。
(現代語訳)
本願の救いは自分の努力次第ではありません。親鸞聖人は法然聖人と共に過ごした中で、この本願のご法義を聞き、念仏が常に口から出るようになったのです。そしてこのご法義は親鸞聖人の時代から後の世代にまで伝えられ、才一さんにまで届けられました。このご法義をいただいた才一さんの口からは「南無阿弥陀仏」の念仏がよく出たということです。
2021年は、ほとんどの法座がオンラインで行われましたが、オンラインでお話しをしていてに気づいたことは、パソコンやテレビ電話では新型コロナウイルスは伝染しないけれど、ご法義の風邪は引くかもしれないということです。
南無阿弥陀仏