今年は4月11日(日曜日)に花祭りの法要をインターネットと電話でライブ中継します。花祭りとはゴータマ・シッダッタがルンビニの花園で誕生されたことをお祝する法要です。シッダッタは35歳の時に悟りを開かれ、釈迦牟尼仏陀として広く敬われているため、花祭りは仏様がこの世にお現れになったことを記念する行事でもあります。私たち一人一人の人生の中においても、仏様の智慧の光が私たちの日常生活を照らす度に仏様がこの世に現れて下さったと言うことが出来るでしょう。
大切な人とのお別れをして悲しんでいる人の人生にも仏様は現れ、諸行無常の道理をお教えになり、人の生命というのは、生まれる前から始まっており死んだ後も続く因縁の流れの中の、たった一時であることに気づかせて下さり、安心して生きる力を与えて下さいます。
職場の難しい上司や学校の意地悪い同級生にストレスが溜まっている人の人生にも仏様は現れ、「怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みのやむことがない。怨みをすててこそやむ。これは永遠の真理である」1ということを教えて下さいます。
この一年間ずっと新型コロナウイルスの対策のルールを守ってきたことで疲れが溜まっている人の人生にも仏様は現れ、その人のこれまでの行いと行わなかったことによって今の人生は成立しており、そして、今行っていること行っていないことが今後の人生を成立させるという真実を照らして下さっています。その因縁の道理に耳を傾けると、確かにこれまで皆が外出時にマスクをしてソーシャルディスタンスを守ることに気を引締めている時にはコロナウイルスの感染が減っていた傾向が、逆にその対策に気が緩んでいた時には感染が急増していった傾向が見えたのも事実です。
私たちは、仏法が私たちを支えて下さっていることに気づく時、釈尊が私たちを導くためにこの世に現れになったと感じることができるでしょう。親鸞聖人は正信偈に、釈尊は全ての人々を救う願いである阿弥陀如来の本願を説くためにこの世に現れになったと述べておられます。
如来が世に出られるのは、
ただ阿弥陀仏の本願一乗海の教えを説くためである。
五濁の世の人々は、
釈尊のまことの教えを信じるがよい。
長い間苦しんでいる私たちが煩悩から解放される救いの道を照らすために、釈尊はこの世に現れになりました。
阿弥陀如来の本願の働きであるお念仏は、親鸞聖人に生かされる力を与え、今生かされている私たちもその力をいただいているのです。このお念仏によって私たちは、仏様の智慧の光と、今の大変な世の中の現実に向き合える金剛の安心をいただくことが出来ます。
最近ここアメリカでは、仏教の寺院とアジア系コミュニティに対しての攻撃事件が続いており、誠に悲しい現実です。その攻撃のニュースを見て、私たちの家族、友達、自身の安全が心配になり、同時に怒りと恐怖が心に浮かんできました。こういう時にこそ、仏様は私たちの人生に現れ、皆と肩を並べて、自信を持って釈尊が教える正しいことをこの世に示す力を与えて下さいます。その力をいただく私たちがすべての人々と共に安穏になる方向に歩んでいくことが阿弥陀如来の本願であるのです。
南無阿弥陀仏
1 『ブッダの心理の言葉・感興のことば』中村元訳 10頁