親子のご縁

5月に宗祖親鸞聖人のご誕生を祝う降誕会(ごたんえ)を行います。降誕会では、親鸞聖人の子供の頃を描いた銅像を本堂に置いて、親鸞聖人が子供であった頃を思い浮べたいと思います。5月は母の日もありますので、母親へのご恩にも感謝する時です。降誕会と母の日が同じ5月というわけで、ここに親子のご縁を考えさせられます。ただここに言う親という存在は生物的な父母に限っているわけではありません。祖父母、学校の先生、スポーツのコーチ、仕事の上司等さまざまなご縁に親子関係が見えてきます。

親鸞聖人は幼い時にお母さんと離れ離れになったと伝えられており、その後、九歳の時に得度をして出家されました。親鸞聖人がお父さんとお母さんと共に暮らした時間は短いものでしたが、自分の心の中に「親様」としての存在は大きかったようで、『高僧和讃』には次のお言葉があります。

(しゃ)()弥陀(みだ)慈悲(じひ)父母(ぶも)

種々(しゅじゅ)(ぜん)(ぎょう)方便(ほうべん)

われらが()(じょう)信心(しんじん)

(ほっ)()せしめたまひけり

釈尊と阿弥陀仏は慈悲深い父母である。

巧みな手だてをさまざまに施し、

わたしたちにこの上ない真実の信心を

おこさせてくださった。

親様の方便という巧みの手だては、子供が気づいていないうちに正しい方向へと導いてくれる働きです。親の働きとは目では見えなくても、常に子供に伴っているものです。親として子供の傍に現れた方にいただく愛情と関心はそれからの子供の人生に永い影響を与えます。ただ、親と離れて近くに見えなくともそのご縁は続き、生涯、子供の人生に働きかけるのです。

      親は子供と一緒にいる間に、子供に間違ったところを教えてあげたり、興味の視野を広げてあげたり、わがままや怠ける心に気づかせたりと正しい生き方を教えようとします。これが“智慧の働き”です。その時に親に教えていただいたことは深く子供の印象に残り、子供は親と一緒にいない時でも、その導きを思い出し親の存在を感じるのです。

      そして、困った時、落ち込んだ時、失敗した時に親が子の感情を認め受け止め、苦しみを取り除いてあげたり、安心を与えたりする、これが“慈悲の働き”です。人はこのように慈悲をいただく時に、次に直面する困難を乗り越え、生き抜く力が身に付いてくるのです。その力が一旦身につけば、それは無くなることはありません。つまり、親の存在を思い出すことが出来れば、いつでもどこでも心強く力強くなれるのです。

上記の和讃で親鸞聖人は釈迦牟尼如来と阿弥陀如来は全ての人々の親様であると述べておられます。仏様の智慧は、私たちに人間の根本的な間違い、わがまま、怠りの原因である“煩悩”に気づかせ、正しい生き方を示す仏法の教えを説いてくださいます。

      阿弥陀如来が大慈悲をもってすべての人々の苦しみを取り除き、穏やかな心を与えることをお誓いなった願いが“本願”です。阿弥陀様の優しい親心は釈迦様がお説きになった浄土三部経を通して、遠い距離と長い時間を超えて、今も私たちの心に届いています。阿弥陀様の本願は私たちのために建てられた願いであることを思い出すことが出来れば、いつどこにいても深い安らぎをいただくことが出来ます。これが親様にいただく「この上ない真実の信心」なのです。

南無阿弥陀仏