西方に向かって

3月22日(日曜日)は午前9時半から春のお彼岸法要をお勤めします。春と秋のお彼岸の日は、昼と夜の長さがちょうど同じとなり、太陽が真っ直ぐ西の方に沈みます。浄土三部経には、阿弥陀如来のお浄土は西方にあるさとりの世界であると述べてありますので、お彼岸は自分の人生の歩んでいる方向を確認するのに良い機会といえるでしょう。

『仏説阿弥陀経』に阿弥陀如来の極楽浄土が西方にあることについて次の言葉があります「ここから西の方へ十万億もの仏がたの国々を過ぎたところに、 極楽と名づけられる世界がある。そこには阿弥陀仏と申しあげる仏がおられて、 今現に教えを説いておいでになる。」私が以前、お彼岸の法話にその西方浄土の話をした後に次のような質問を受けたことがあります。「阿弥陀如来のお浄土は西方にあるといえば、宇宙船に乗って行けるようなところでありますでしょうか?」私はその時どう答えればいいのか分からず困ってしまいました。確かにお浄土が存在している世界であるのは間違いありませんが、おそらくそのような物理的な場所ではないでしょう。

その後、私は京都の中央仏教学院で勉強していた時の恩師佐々木義英先生にお会いした時に、もし先生がその質問をされたらどう答えますかと尋ねると、佐々木先生はご自身が書かれた『なるほど浄土真宗』という本にある次の分かりやすい説明を紹介して下さいました。

夜空に浮かぶ美しい星々の輝きは、何億光年という気の遠くなるような時間をかけて、地球にたどり着いています。ところが、その光が地上にとどく頃には、すでに消滅している星もあります。私たちが見ている星々のすべてが実在しているわけではないのです。

 夜空の星々も、それを地上で見ている私たちも、すべてのものは生まれてはやがて消えていきます。「浄土」が望遠鏡で取られるような世界であるのなら、夜空の星と同じように、やがて消滅してしまうことでしょう。

 このように、私たちの世界のなかでは、どのようなものであっても、永遠にあり続けることはできません。ですから、お経には、「浄土」は、私たちの世界とは異なっていて、私たちのものの見方や考え方ではとらえることのできない「さとりの世界である」と説かれているのです。そして、それは「生まれてはやがて消えていくという世界のなかにいる私たちを救い取ってさとりを開かせる」ために「ある」世界ということなのです。(『なるほど浄土真宗』13頁)

朝、東の空に登っていく太陽が必ず夕方になると西の方に沈んでいくのと同じように、この世に生まれてきた私たちも必ずいつか死に至ります。悟りを開く人は人生が終わった時に生死の迷いの世界から開放されます。悟りを開いて生死から解放されることは仏教の目指すところです。悟りにたどり着くためには八万四千の法門があるといいますが、私たちが阿弥陀如来がすべての人々を救う本願を信じて浄土に往生することは、私たちを必ず悟りへと導いてくださるお念仏の道です。お彼岸は私たちが歩んで行くその悟りへの道を確かめる尊いご縁なのです。

 

南無阿弥陀仏