新年へ一躍

新年おめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。日本の数え年の歳の数え方では元旦の日に皆一緒に一つ歳をとる事になります。このように、お正月は皆の誕生会とされていたように昔ながらおめでたい日で、子ども達は家族や親戚からお年玉をもらいます。私は自分が親になって、子どもとの関わりを通して子どもの時の純粋な心を再発見したことがあります。その純粋な心を味わうためには、自分が「成長した大人」という考えは忘れて、子どもの視点で一緒に色々な遊びに参加する事が大切だと気付いたのです。

この間、息子を誕生日会に連れていった時、私は息子に手を引っ張られて無理やりバウンスハウスの中に一緒に入りました。バウンスハウスというのは空気が入っているナイロンのクッションやパネルでできている大きな部屋で、誕生日会の時によく前庭やドライブウェイに設置されます。バウンスハウスの中では、上に高く飛ぶことも出来るし、転んでも痛くありません。

バウンスハウスの中に入って、しばらく息子と一緒に飛び回っていると、流石に疲れて、私はその場でクッションの上に座って休憩をしていました。一旦座り込むと面白いことに気が付きました。誰かが飛び上るとその反動で座っている私は下に沈んだり、飛び上がった人が降りてくると反対に押し上げられたりしました。この時、一人が動くと皆の動きに影響することに気が付いたのです。そして、子どもが次々に入ってきて、どんどん盛り上がると私は誰の動きに自分が動かされているのか分からなくなりました。とにかく、数限りないほど多くの動きの影響を受けながら私は動かされていました。

バウンスハウスの中で起こる人と人との動きの関係性のように、私たちは日頃、自分たちの言葉や感情によって人を動かしたり、人に動かされたりすることがあります。言葉や感情による動きや働きは時々気が付き難かったりしますが、時に一生涯に影響を与えることがあります。例えば、学校の先生が自分が知らなかった新たな分野を紹介してくれたお陰で人生の歩んでいく方向が変わったことはありませんか?または、人生の中で困難に遭遇した際、親戚や友人が支えてくれたお陰で、どうにか前向きになれたことはありませんか?このような人生の中での大切な人との出会いの事をご縁といい、極楽への歩みへと導いてくれる不思議な動きを私たちに与えてくれるのです。

親鸞聖人いわく、「つくべき縁があれば一緒になり、離れるべき縁あれば離れていく」(浄土真宗聖典 歎異抄 現代語訳 12頁)。大切な人との出会いへと導いてくれるご縁は不思議な動きであり計り知れないものです。いつか別れる事になるご縁の動きも不思議で計り知れないものであります。然し、南無阿弥陀仏の中に生かされる人生では、沈む時も押しあげられる時も如来の真実の光明が歩むべき道を照らしてくれます。新年もこのご縁の不思議な動きの中で皆様と一緒に楽しく過ごしたいと思っております。

念仏の詩人一茶が1819年に幼い娘に読まれた言葉とともに新年を迎えたいと思います。

こぞの五月生れたる娘に一人前の雜煮膳を居へて

 

這へ笑へ二ツになるぞけさからは

(『おらが春』)

 

南無阿弥陀仏