親鸞聖人が聞いた念仏

5月21日の9時半からサンマテオ仏教会にて宗祖親鸞聖人御誕生850年を祝う降誕会を行いますので、是非ご一緒にお参りください。今年、2023年は浄土真宗の立教開宗800年記念にもあたる年です。

親鸞聖人は1173年5月21日に京都の近くにある日野の里という土地にお生まれになりました。当時は武士の争いが絶えず、飢饉や疫病もあり、たくさんの人々が苦しんでいました。このような時代背景から、親鸞聖人は幼いながらに多くの悲しい出来事を経験していたと推測できます。その後、聖人は9歳の時に出家され、仏法に帰依されました。出家をする日の夕方、青蓮院というお寺に着くと、得度式(僧侶になるための出家の儀式)を行う慈円和尚は「得度は明日にしましょう」と言われました。その時、若い親鸞聖人は次のように読まれました。

「明日ありと思う心のあだ桜 夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは」

子供でありながら親鸞聖人は、もし夜中に嵐が来たら、明日見るのを楽しみにしている桜が全部散ってしまうのと同じように、明日またはその先に期待していることは常に移り変わる真実をよく分かっていました。慈円和尚は若い親鸞聖人がこのように諸行無常を説いたことに感動し、その夜、ろうそくの灯りで得度式を行ったと言われています。

親鸞聖人は、このように常に移り変わる世の中で、真の安心を求め、仏法に帰依されました。諸行無常の真実に出会うことは自分の人生を映す鏡であります。無常の風がいつ私のところに吹くかは分かりません。そのため、仏様はお念仏となり、私たちに今日の人生の方向性を明確にし、生と死のことについて構えることを心掛けるよう常に励ましの呼び声となって私たちに届けてくださっているのです。

浄土真宗の宗祖は親鸞聖人ですが、親鸞聖人はもともと自分自身で新しい宗派を始める意志はなく、常日頃、師の法然聖人への尊敬の意を表されていました。『歎異抄』に親鸞聖人の次のお言葉があります。

この親鸞においては、「ただ念仏して、阿弥陀仏に救われ往生させていただくのである」という法然聖人のお言葉をいただき、それを信じているだけで、他に何かがあるわけではありません。

  (『浄土真宗聖典 歎異抄 現代語訳 6〜7頁』)

では、法然聖人がすすめた念仏とは何なのでしょうか?念仏とは「仏様を念ずる」ということですが、その中でも、法然聖人と親鸞聖人の教えは称名念仏といい、南無阿弥陀仏の名号を称えることを意味します。 「南無阿弥陀仏」というのは古代インドのサンスクリット語の言葉を漢字で音写したもので、「阿弥陀仏に帰依します」という意味です。「阿弥陀」は無量という意味で、仏様の光明と寿命は計り知れないということを表しています。そして、光明は仏様の智慧で、寿命は仏様の慈悲を表しています。

親鸞聖人の教えには、「南無阿弥陀仏」は如来からの勅命であり、仏様の「私に帰依しなさい」という呼び声を聞くことが出来るとあります。疑いの心なく仏様の呼び声であるお念仏が聞こえれば、喜びと感謝の念仏が自然と私たちの口から出てきます。このように如来の智慧と慈悲は、南無阿弥陀仏の六文字となって、常に私の心まで響いているのです。

南無阿弥陀仏