夏休みも終わり、九月二十三日には秋季彼岸会を迎えます。六月下旬のバザーから八月中旬のお盆まで、夏休みの間にサンマテオ仏教会で様々な行事が行われましたが、七月の第四週目に行われた、サマー寺子屋は特に楽しいものでした。一日中遊んでいる子供達の声が仏教会に響いていて誠にありがたい事でした。
今年の寺子屋のテーマは色々な仏教の国で行われている祝日や行事を通して釈迦さまの生涯を偲ぶことでした。サマー寺子屋の週の木曜日にはミニお盆法要を行いました。お盆の由来は盂蘭盆経に説かれた釈迦さまの仏弟子目連尊者が亡き母を偲んだ話にありまして、日本だけではなく、中国、韓国、ヴェトナムなどでも先亡者を偲ぶ法要として行われています。そこで、参加者の子供達に自分が偲びたい方の名前と花、果物、お菓子などのお供え物を持って来るようにお願いしました。お供えの食べ物はスナックの時間に食べることにしました。
水曜日の午後のお迎えの時に兄弟で参加している子供の親御さん達と話していて、大好きなお爺ちゃんお婆ちゃんまたは曾お爺ちゃんお婆ちゃんの名前を持って行きたいからとの事で、兄弟間でどの子供がどちらの名前を持っていくかについて熱い交渉が続いていたそうでした。祥月法要、永代経法要、初盆法要などの法事ではお経が読誦されている間に先亡者の名前を拝読して、その方を偲ぶご家族にお焼香していだだきますので、寺子屋のミニお盆法要の時にもそういう風にしました。そして、その兄弟らのお爺ちゃんやお婆ちゃんご先祖様達の名前が読まれますと、どちらがその名前を持ってくるかについて競争していた兄弟たちは共に前に出てきて恭しくお焼香しました。お焼香の時、各自で一つまみのお香を燃えている墨の上に置きますが、そのお香は甘く私達を安心させてくれるひと時の煙となります。その香りを味わいながら、同じご先祖から生まれてきたご縁をありがたく思ったのではないでしょうか。
現代社会に視点を狭められ、一人対一人の関係だけを重視し、先に往生なさった方々とのご縁により幅広く多くの命と繋がっている事を見失いがちになる傾向があります。お彼岸の時にも先にお浄土に帰られた方々を偲び、私たちの極楽世界への歩みの方向を確認するご縁になります。この事について道綽禅師は次の言葉を述べられています:「前に生まれるものは後のものを導き、後に生まれるものは前のもののあとを尋ね…数限りない迷いの人々が残らず救われる…」(『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類 現代語訳』646頁)
サマー寺子屋のミニお盆法要の時にお偲びした先亡者の方々は参加していた私たち全員を阿弥陀さまに向かって本堂に座るように導いて下さいました。合掌をして「南無阿弥陀仏」称えた時、お浄土からの呼び声を共に聞く事ができました。そのお浄土からの呼び声であるお念仏を聞くと私自身の家族全員を含め、全ての命が如来の大慈悲に抱かれている事に気づく事が出来るのです。
南無阿弥陀仏