菩提樹の光明

ここ北半球では12月になると日の差す時間が徐々に短くなり、夜の暗みで暮らす時間が長くなります。冬の暗みの間、世界のさまざまな宗教には智慧の光を喜び祝う行事や祭日があります。ユダヤ教のハナカーは九本の蝋燭を家に飾り、ヒンドゥー教のディーワーリーは花火をつけ、そして年末のクリスマスのライトアップは私達が暮らす多文化・多宗教で豊かな社会の、この季節の楽しみと言えるでしょう。日本の仏教徒は12月8日に釈迦様が2,500年ほど昔に菩提樹の下で悟りを開かれた日を祝う成道会を行います。

現在アメリカの多文化的・多宗教的な社会では12月に布施、友好、助け合いの共通の価値観を強調するホリデースピリットがあります。今まで私が北米開教区の開教使をしてきた中で、何度かご門徒さんとの会話の中でちょっと恥ずかしそうにその方のご家族が12月に、色とりどりなライトが付いているもみの樹を家に飾り、その樹の下に家族や友人に渡すプレゼントを置いているという話しが出たことがあります。そしてたまにご門徒の皆さんから仏教の開教使である私に、門徒がこういう風に家に樹クリスマスツリーを飾ることに対して違和感がありますかと聞かれることがあります。

しかし、年末年始に常緑樹を飾ることは多くの国の文化にありますので、決してこれはひとつだけの宗教の伝統であるとはいえないでしょう。たとえば日本ではお正月に一年中緑を保つ松の枝を飾って、「松竹梅」で新年を迎える習慣があります。

シダッタは樹の下に座り悟りを開きました。その樹は菩提樹といい、仏教の大切なシンボルとなっています。「菩提」はインド古代の言語であるサンスクリット語で「目覚め」を意味します。シダッタは菩提樹の下に座る前の六年間、苦行に励み、食べるものを減らしたり、激しい雨や強い日差しの下でもずっと外で暮らしていました。それら苦行を続けた後、ある日シダッタの身体に限界がきてついに倒れてしまいました。ちょうどそのとき、スジャータという少女が通りかかり、倒れていたシダッタを見つけました。スジャータは可哀想に思い、乳がゆを差し出しました。その乳がゆを食べたシダッタは修行をするための体力を取り戻し、苦と楽の二つの極端な生き方を求めるのではなく、悟りへの道は中道にあるということに気づきました。

体力を取り戻したシダッタは、雨や日差しから身体をかくまってくれる菩提樹の下で柔らかい草の座布団の上に座り、すべての迷いを乗り越え、悟りを開くまでその場所を離れないと決心しました。そして一晩中座禅を続け、夜明けの明星を見たとき、シダッタはついに悟りを開くこと(成仏すること)が出来ました。この菩提樹が雨や日差しから守ってくれたことは、苦行の道から中道を歩む道を選んだシダッタ(釈迦様)の決心をあらわしているのです。

釈迦様の成道を祝う十二月に、近所の家々や街の中できらきら光っている樹々を見るのは楽しいものです。その樹々を見ていると、釈迦様が苦と楽の二つの両極端な道を歩むのではなく、目覚めへの中道を歩むように教えて下さっていることを思い出します。暗みに光が照らすこの季節、仏様の光明が菩提樹から2,500年の長い月日とアメリカとインドの遠い空間を越えて、私が今、ここで歩んでいる道を照らしてくれているような気がします。親鸞聖人は「正信念仏偈」に次のように仏様の智慧の光を讃嘆されています。

 

本願を成就された仏は、無量光・無碍光・無対光・炎王光・

清浄光・歓喜光・智慧光・不断光・難思光・無称光・

超日月光とたたえられる光明を放って、広くすべての国々を照らし、すべての衆生はその光明に照らされる。

(『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証門類 現代語版』143~144頁)

 

南無阿弥陀仏