先月サンフランシスコ・ファウンデーションという財団法人がサンマテオ市北中央区の歴史と現在の課題を視察するためのツアーを行い、その際サンマテオ仏教会にも訪問がありました。ツアーの実行委員会は日系仏教徒が120年の間に北中央区に残した重要な活躍を紹介したいとツアーの時に是非仏教会に寄りたいと言っておられました。
ツアーがサンマテオ仏教会を訪問した際、長年北中央区に住んでおられる御門徒さん四人が自分の経験とこれからの区のために願っていることについて話をされました。御門徒さん一人一人は自分の家族がどうやっていろいろな課題を乗り越えサンマテオで有意義な生活を築いたかについて感動するお話を述べられました。この時に聞いた話の一つが今度2020年12月1日(日曜日)の9時半からサンマテオ仏教会でお勤めする成道会に関係があると思い、ご紹介したいと思います。
私の子供ときの一番大きな出来事は1942年2月に出された当時西海岸各地に住んでいた日系人全員を強制的に収容所に移動させる米国大統領令でした。私はその時六歳でした。はっきり覚えているのは消灯訓練です。消灯訓練の時は家中の電気と町中の灯明をすべて消さなければならず、危険がないと示すサイレンが鳴るまでは電気を付けることは禁止されており、町中午後8時の門限が決められていました。私の父親はその時昼間に庭師の仕事をしていましたが、ヒルズボローのお金持ちの家がパーティーをホストした時は、父は皿洗いの仕事も頼まれていました。そして仕事が終わると車のヘッドライトを点けずに運転して帰ってきていましたから、私は父が警察につかまれるのではないかと心配していたことを今でも覚えています。
大統領令が出された後、引っ越しの準備をするのに三ヶ月しかなかったので、非常に低額で家のものを売らなければなりませんでした。収容所には持っていけず売られなかったものは全部燃やして処分しました。裏庭でお兄ちゃんとお姉ちゃんたちが大切にしていた本や所有物をたき火と一緒に燃やした時の流した涙を今も覚えています。引越しの日は1942年5月9日でしたが、私の弟は5月7日に三歳になったばかりでした。家を閉めてDelaware通りからEllsworth通りとTilton通りの角にあるフリーメーソンのホールへ歩いて向かっていました。向かっている途中、弟は一番大好きなぬいぐるみがないために泣き出しました。古くてボロボロだったので、父がゴミ箱に捨てたのでしたが、弟があまりにも激しく泣いていたので、父は取りに行くために、歩いて一度家に戻らないといけませんでした。仮設の収容所になっていたタンフォラン競馬場へ私たちを運ぶバスが来ると、父がバスが出る時間までに戻ってこれるのか心配で、ずっとTilton通りを見つめながら待っていました。父の向かって来る姿が見えるとホッとしました。
ユタ州のトパズ収容所とカリフォルニアのトゥーリーレイク収容所で三年間を過ごした後、ようやくサンマテオに帰って来られたのは、Eldorado通りに住んでいた叔父母と一緒に住むことが出来たお陰でした。4th Avenueにあった家を買うお金を貯金するのには三年間掛かりましたが、その間は叔父母の家に八人一緒に暮らしていました。その頃、我々日系人は北中央区の範囲内だけ家を買うことが許されていました。ちなみに、その地区は南に5th Aveまで、北にPeninsula Aveまで、西に鉄道線路まで、東に高速道路101号線までした。
戦後、サンマテオに帰って来るのは難しいことでした。日系コミュニティに対しての差別はまだ強かったのです。その当時収容所から帰ってきた私たちにとってサンマテオ仏教会は自分の家のような存在でした。仏教会は集まる場所として自分たちの経験を話し合う事が出来たし、ゼロからまた生活を作り直さないといけなった家族たちは開教使のご法話を聴くことによって新たな挑戦に立ち向かう力をいただいていたのです。
今年12月1日にお勤めする成道会は釈迦牟尼仏陀が菩提樹の下に座り悟りを開いたことを祝う法要です。釈迦牟尼仏陀は悟りを開く前は生まれた時に名付けられた名前シッダッタとも呼ばれました。シッダッタは悟りを開こうとしたとき、瞑想のために座っていたところから非常に明るい光が輝いたといわれています。迷いの世界を主宰する魔王はその光を見ると、シッダッタが間もなく悟りを開いて、迷いの世界から開放されようとしていることが分かり、悪魔一族の仲間を呼び集めシッダッタに攻撃し、悟りを妨げようとしました。しかし、シッダッタにはこの悪魔の攻撃は幻に過ぎないということが分かっており、彼の集中力が途切れることはありませんでした。その時、シッダッタは座っていたところの地面に手を着き、悟りを開く決心を表しました。そしてとうとう魔王はシッダッタの悟りを阻止することをあきらめ、その場を去っていったのでした。
戦後にまたサンマテオに帰って来られ、2 South Claremont Streetに仏教会を建てられた方々は釈迦牟尼仏陀と同じように迷いと偏見が多い世の中においても目覚めの境地を設立して下さいました。その勇気に私は深く感謝しています。