目覚めの境地

先月サンフランシスコ・ファウンデーションという財団法人がサンマテオ市北中央区の歴史と現在の課題を視察するためのツアーを行い、その際サンマテオ仏教会にも訪問がありました。ツアーの実行委員会は日系仏教徒が120年の間に北中央区に残した重要な活躍を紹介したいとツアーの時に是非仏教会に寄りたいと言っておられました。

ツアーがサンマテオ仏教会を訪問した際、長年北中央区に住んでおられる御門徒さん四人が自分の経験とこれからの区のために願っていることについて話をされました。御門徒さん一人一人は自分の家族がどうやっていろいろな課題を乗り越えサンマテオで有意義な生活を築いたかについて感動するお話を述べられました。この時に聞いた話の一つが今度2020年12月1日(日曜日)の9時半からサンマテオ仏教会でお勤めする成道会に関係があると思い、ご紹介したいと思います。

私の子供ときの一番大きな出来事は1942年2月に出された当時西海岸各地に住んでいた日系人全員を強制的に収容所に移動させる米国大統領令でした。私はその時六歳でした。はっきり覚えているのは消灯訓練です。消灯訓練の時は家中の電気と町中の灯明をすべて消さなければならず、危険がないと示すサイレンが鳴るまでは電気を付けることは禁止されており、町中午後8時の門限が決められていました。私の父親はその時昼間に庭師の仕事をしていましたが、ヒルズボローのお金持ちの家がパーティーをホストした時は、父は皿洗いの仕事も頼まれていました。そして仕事が終わると車のヘッドライトを点けずに運転して帰ってきていましたから、私は父が警察につかまれるのではないかと心配していたことを今でも覚えています。

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感謝の表明

11月は感謝を表す特別な機会がたくさんあります。サンマテオ仏教会では、11月17日(日曜日)に仏教会が仏法を聴聞でき、お念仏を喜ぶ道場として永遠に続くようにとの願いを持って、これまで力を尽くしてきて下さった代々のご門徒さまを偲ぶ永代経法要が行われます。11月24日(日曜日)には7歳、5歳、3歳の子供の元気で幸せな成長を支えるご縁を感謝する七五三法要が行われます。そして、11月28日(木曜日)は多くの家族や友人らが集まる、アメリカのとてもありがたい祝日である感謝祭(サンクスギビング)を祝います。

このように11月は感謝の心を再発見する特別な行事がたくさんありますが、お念仏に生かされている私たちはご恩報謝に日頃からつとめることによって、大きな安らぎと喜びをいただく事が出来ます。簡単な例えで言えば、日々の生活の中での感謝を表す姿の一つは、食事の前に手を合わせて「いただきます」を言うこと、そして食事の後にもまた手を合わせて「ごちそうさまでした」を言うことです。食前の合掌は浄土真宗の歴史の中に根深い伝統があります。私は最近、田名大正先生が第二次世界大戦時にニューメキシコ州にある戦時敵国人抑留所で書かれたサンデースクールの法話の編集記『佛子生活編』に食前の合掌についての次の説明を見つけました。

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み仏のみこゑかのごと

サンマテオ仏教会では10月に親鸞聖人の奥様恵信尼さまと末娘覚信尼さまを始め、代々お念仏の喜びを伝灯してきて下さった仏教婦人の方々をお偲びし、今月のダーマスクールの法話では甲斐和里子や金子みすゞ、20世紀にお念仏を喜ばれた女性の詩人をご紹介する予定です。

1952年から1955年までサンマテオ仏教会に赴任されていた開教使田名大正師の奥様、田名ともゑ夫人は長年アメリカにて短歌でご活躍され、お念仏の喜びを表す短歌を沢山残して下さいました。ともゑ夫人は1913年北海道の寺族にお生まれになり、1937年に大正先生とご結婚された後、1938年に渡米されました。最初はバークレーに住んでおられ、その後はロンポックで暮らされていました。

太平洋戦争が始まると、1942年3月に大正先生は逮捕され、戦争が終わるまでニューメキシコ州のサンタフェーとローズバーグにあった戦時敵国人抑留所に収容されていました。

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仏種

2018年4月8日に花まつりの法要をお勤めしますので、是非ご一緒にお参りください。花まつりというのは2,641年前にネパールにあるルンビニの花園でお生まれになったゴータマ・シダッタ王子の誕生日をお祝いする日です。シダッタは35歳の時に菩提樹の下で悟りを開き、人生の残り45年間の間、人々が苦しみから解脱できる道を広く説かれ、多くの人々をお救いになりましたので、釈迦牟尼仏陀(釈迦族の聖者)と敬称されるようになりました。

仏法の智慧と慈悲によって人生の歩むべき道が照らされている人々にとって釈尊は大いなる英雄であり、その説かれた教えは代々迷いの世界に苦しむ人々を極楽へと導く灯火となっているのです。現在の世の中に見える様々な迷いと苦しみを考えますと、釈尊がこの世に現れになったことを喜び、先にお念仏の道を歩まれた方々の導きに対しての感謝の気持ちが湧いてきます。

1952年から1955年までサンマテオ仏教会に赴任されていた開教使田名大正師は私のヒーローの一人です。1941年、日米間の戦争が始まった当時、田名先生はカリフォルニア中央海岸にあるランポークにて活躍されていました。戦争が始まると、日系コミュニティのリーダーは皆疑われ、細かく捜査されました。犯罪や反アメリカ活動を行なった証拠は見つけられなかったにもかかわらず、大勢の方が収容されました。田名先生もその一人でした。

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1942年の春季彼岸会

先月、米国大統領令9066号の75周年記念を迎えました。真珠湾攻撃の後にフランクリン・デラーノ・ルーズベルト大統領が大統領令9066号にサインしたことによって、西海岸各地に住んでいた日系人全員は強制的に収容所に移動させられました。その歴史は北米でお念仏の伝道に大きい影響を与えましたが、当時カリフォルニアの中央海岸のランポークで活躍されていた開教使田名大正師が書かれた『サンタフェー・ローズバーグ戦時敵国人抑留所日記』はその時の経験についての貴重な資料となっています。戦後、田名先生は1952年から1955年まで私たちのサンマテオ仏教会に赴任されていました。

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