1942年の春季彼岸会

先月、米国大統領令9066号の75周年記念を迎えました。真珠湾攻撃の後にフランクリン・デラーノ・ルーズベルト大統領が大統領令9066号にサインしたことによって、西海岸各地に住んでいた日系人全員は強制的に収容所に移動させられました。その歴史は北米でお念仏の伝道に大きい影響を与えましたが、当時カリフォルニアの中央海岸のランポークで活躍されていた開教使田名大正師が書かれた『サンタフェー・ローズバーグ戦時敵国人抑留所日記』はその時の経験についての貴重な資料となっています。戦後、田名先生は1952年から1955年まで私たちのサンマテオ仏教会に赴任されていました。

1942年2月24日午後3時、連邦捜査局(FBI)の捜査官と市警官3名が田名先生の見許調査と家宅捜査を行いました。田名先生が「収容するのか。」とすぐさま問うと、「然り。」と返答されたそうです。「地下室から天井裏から仏間の奥まで探した。鉄砲はないか、ラジオはないかと、敵国人所持禁制品を極力探し求めていたが何もないので午後5時引上げて行った。」田名先生は3月13日に収容され、3月14日にキリスト教の牧師、他の開教使を含めて12人と一緒にトラックに乗せられ、ロサンゼルスの方へ向かって出発しました。

最初はロサンゼルスの西側にあるサンタモニカ山脈の中のタハンガ(Tuna Canyon)という市民保全部隊(Civilian Conservation Corps)のキャンプに収容されました。田名先生のその頃の日記を読むと、いつ、どこに移動させられるか分からない将来についての不安な気持ちがよく伝わってきます。その迷いの中でも、田名先生にとって仏法が安心のよりどころであったことを述べられています。

サンマテオ仏教会では2017年3月12日午前9時半から春季彼岸会が行われますが、1942年3月タハンガのキャンプでは下記のように春季彼岸会が営まれました。

収容所の彼岸法要 一九四二 三 二二

今日は日曜日である。午前九時から、基督教の野外礼拝が行われた。何処に居ようと、必ず日曜礼拝を欠かさないのには感心する。

多人数の中では、殊更に売らんかなの催しを好まないが、今日は彼岸だから、夜、彼岸会法要を各宗合同で営む事にした。

Cブロックに阿彌陀仏の御絵像を安置して、一同が十二礼を読誦したのであるが、満堂の仏教徒は、思わざるところで今年の彼岸を迎えた感激に満ちていた。

思わざるところでの彼岸会に法話を言いつけられた私は、「我らの彼岸」と題して、囚れの身に期待し得る理想に就いて所感を語った。話の最中に拍手のあるのに、仏前礼拝にそぐわない気持を起こしながら、三十分程の法話をしたが、話が終わっても拍手があったので、単なるひやかしではなく、同じような心境ある人々の共鳴であったのかも知れない。

サンタバーバラの泉牧師が、よいお話であったと言って下さったので安心した。中根牧師も、声がよく徹って、気持よくきかされたと喜んで下さった。自分と異なった主義者の話に対し、思い通りに感じを言って挨拶するのはよい事だ。

(『サンタフェー・ローズバーグ戦時敵国人抑留所日記』117~118)

タハンガのキャンプで営まれた春季彼岸会では十二礼をお勤めされましたが、今のサンマテオ仏教会でも十二礼をよくお勤めします。田名先生が仏様の智慧と慈悲にいただかれた力は、十二礼にある次の言葉がよく表しています。

所有無常無我等  亦如水月電影露
為衆説法無名字  故我頂礼弥陀尊

諸有は無常・無我等なり。 また水月・電の影・露のごとし。
衆のために法を説くに名字なし。 ゆゑにわれ、 弥陀尊を頂礼したてまつる。

(http://www.yamadera.info/seiten/d/junirai.htm)

安定していた生活が急に変更するのは無常ということです。自分が頼っていたものごとは永遠に変わらないという実体がないことに気づいたとき「無我」の道理に出会います。そういう現実が不安な思いを与えるときにこそ、仏様の光が私たちの人生を照らし、言葉を乗り越える真理によって心が安穏になります。田名先生が思わぬ現実の中でもお念仏に生かされている姿は、阿弥陀如来に帰依する人生の力を私たちに示してくださっているのです。

南無阿弥陀仏